江藤隆美の出身高校
江藤隆美 議員
- 江藤隆美卒業高校
- 門川高校 偏差値 宮崎県高校偏差値ランキング
- 議員ランキング
- 828位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
- 性別
- 女性
江藤 隆美(えとう たかみ、大正14年(1925年)4月10日 - )は、昭和、平成期の政治家。自由民主党所属の元衆議院議員。小泉純一郎 小泉構造改革を批判し、いわゆる抵抗勢力の代表的な存在だった。親しい地元県議や市町村議員を動員して政治献金集めに特に熱心だったため地元の支持者の間から「たかりの江藤」「たかり屋」と皮肉めいたあだ名をつけられていた。大正14年(1925年)4月10日、宮崎県日向市に生まれる。旧制延岡中学(現・宮崎県立延岡高等学校)を経て昭和22年(1947年)宮崎農林専門学校(現・宮崎大学)を卒業。宮崎県議会議員を経て、昭和44年(1969年)第32回衆議院議員総選挙に立候補し、当選する。「四十四年組」の一人。若手の頃から武闘派で鳴らし、昭和48年(1973年)には青嵐会の結成にも参加した。昭和58年(1983年)自民党国会対策委員長に就任。昭和60年(1985年)第二次中曽根康弘再改造内閣の建設大臣として初入閣。平成元年(1989年)6月宇野宗佑内閣で自民党幹事長代理となり、消費税、リクルート事件、宇野の女性問題と逆風が吹き荒れる中、参議院選挙に当たる。8月海部俊樹内閣の運輸大臣に就任。しかし、平成2年(1990年)の第39回衆議院議員総選挙に現職閣僚として落選する。この選挙の直前には、江藤氏の年来の政敵とされてきた、黒木博元宮崎県知事の政治献金汚職疑惑の無罪判決が出ており(その後無罪は確定)このことが大きく江藤氏の落選に大きく影響したという見方もある。いずれにせよ、その後平成5年、国政に復帰するが、中曽根派の後継を争っていた渡辺美智雄には大きく水をあけられていた。平成5年(1993年)の第40回衆議院議員総選挙で当選し中央政界に復帰を果たすが、自民党は敗北し、政権から転落していた。
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