水谷宏の出身高校
水谷宏 プロ野球選手
- 水谷宏卒業高校
- 三重高校 偏差値 三重県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 716位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1946年4月11日生まれ
水谷 宏(みずたに ひろし、1946年4月11日 - )は、三重県出身の元プロ野球選手(投手)。戸籍姓は新垣(にいがき)。
選手としては活躍できなかったが、打撃投手を28年間務めた。
三重高等学校では創部2年目の野球部に入部し、1963年、2年生夏に投手として三重大会決勝まで進むが相可高に敗退。翌1964年の夏は県大会準々決勝で四日市高に敗れ、甲子園には届かなかった。
卒業後は全鐘紡に進み、1968年の日本産業対抗野球大会では藤原真との二本柱で優勝する。同年のドラフト1位で近鉄バファローズに指名され入団。ドラフト同期には藤原をはじめ星野仙一、田淵幸一、山本浩司、福本豊、有藤通世らがいる。
入団当初は本格派投手でストレートとカーブを武器にしていた。1年目の1969年から一軍に定着し、5月には先発にも起用されるが結果を出せなかった。その後も思ったような活躍ができず、4年目にサイドスローに転向しシンカーを武器にした。1973年には主に中継ぎながら5勝を記録するが、その後は勝星に恵まれず、登板機会も漸減して1978年限りで現役引退した。
引退後、西本幸雄監督から「打撃投手をやってくれないか」と要請され、梨田昌孝、佐々木恭介、大石大二郎、中村紀洋ら「いてまえ打線」を陰からサポートした。水谷が打撃投手として抜擢された理由は彼の投球フォームがサイドスローで、山田久志、金城基泰、高橋直樹といった当時ライバル球団に多くいたサイドスロー・アンダースロー投手対策だったためだという。
2006年、オリックス・バファローズの秋季キャンプをもって打撃投手を還暦で引退した。
現在は関西メディカルスポーツ学院の投手コーチ。
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