武藤嘉紀の出身高校
武藤嘉紀 プロサッカー選手
- 武藤嘉紀卒業高校
- 慶應義塾高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
- プロサッカー選手ランキング
- 25位 / 814人中 プロサッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1992年7月15日生まれ
武藤 嘉紀(むとう よしのり、1992年7月15日 - )は、東京都世田谷区出身のサッカー選手。ブンデスリーガ・1.FSVマインツ05所属。日本代表。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。慶應義塾大学経済学部卒業。
3歳でバディスポーツ幼児園に入園後、4歳でバディサッカークラブに入部し、本格的にサッカーを始める。その後、小学校の6年間は同クラブで活躍し、6年生の時にはキャプテンを務める。
小学校4年時よりFC東京のスクールへも通い、2005年の中学校進学時から同クラブ下部組織に加入。同期に高木利弥(中学校も同じ)、上形洋介、江口貴俊、佐々木陽次、廣木雄磨、松藤正伸、三浦龍輝。この頃から攻撃的MF(サイドハーフ)でプレーするようになった。2007年のU-15高円宮杯で全国大会得点ランキング2位に輝いたことなどが評価され、2008年よりU-15からU-18へ昇格。脚力とフィジカルの強さを買われ、U-18ではDF(サイドバック)でも起用された。攻撃的MFに戻った2010年(3年時)にはパワフルな仕掛けを武器にエースとして活躍した。この年、2種登録選手としてトップチームに登録されている。翌年からのトップチーム昇格を打診されていたが、「今、プロの世界に飛び込んでもやっていけない」という判断のもと、大学進学を選択した。
2011年、慶應義塾大学経済学部へ進学し、ソッカー部に所属。1年時から7試合で6得点というハイペースで得点を量産するも試合中の接触により左膝半月板を損傷。目標としていた新人王及び得点王の獲得を逃した。復帰後はチームプレーに重きを置きつつも、要所で得点に絡み、同部での絶対的エースとなった。2012年6月、ユース時代を過ごした古巣FC東京に特別指定選手として登録され練習に参加。2013年3月に行われたデンソーカップチャレンジサッカーでは、関東大学選抜Aとして出場し、2年生で唯一ベストイレブンに選出。その活躍が認められ、同月全日本大学選抜に選出され、ドイツキャンプ及びデンソーカップサッカー日韓大学定期戦に参加した。同年7月、前年に続いてFC東京に特別指定選手として登録。同月6日のJ1第14節広島戦で途中出場し、Jリーグデビューを果たした。
2014年からFC東京へ正式に加入。サッカー部監督の須田芳正からもプロ入りを後押しされ、内部進学であったことから3年次で円滑に退部することが出来、在学のままプロ契約を結んだ。
同年J1第1節柏戦で早速先発出場。3トップの左ウイングに入り、相手守備網を切り裂いた。FC東京における新人選手の開幕戦先発は2008年の長友佑都以来。運動量とスピードを活かし、2トップの一角やサイドハーフでの起用にも順応。ドリブル突破による1対1での打開力を発揮してJ1第21節浦和戦でシーズン7得点目を挙げ、クラブ新人最多得点記録を更新した。プレッシャーや疲労蓄積、FW平山相太の負傷離脱によるポストプレーの負担が重なりシーズン終盤には決定力に陰りを見せるも、J1第31節の名古屋戦の1得点で、渡邉千真が持つ新人最多記録の13得点に並んだ。同年12月、新人としては小野伸二、中澤佑二に次いで史上3人目となるJリーグベストイレブンを受賞した。
武藤の心身の消耗を憂慮していたFC東京GMの立石敬之から賛同を得られず、志望した冬季の海外移籍はならなかったが、2015年夏季の海外移籍を視野に契約を更新し、Jリーグでの登録をFWに変更。開幕戦から得点を重ね、3月度の月間MVP受賞。J1第15節の松本戦で同年通算10得点目を決めた。デビューから2年連続での二桁得点は城彰二以来となるJリーグ史上2人目の快挙となった[49]。1stステージ最終節の清水戦では得点こそ無かったものの、前田遼一の得点をアシストし[50]自身最後の試合を勝利で飾った。
FC東京からの移籍容認に十分な活躍を続け[49]、2015年3月にはイングランド・プレミアリーグのチェルシーFCからオファーを受けるも[51]、翌4月にドイツ・ブンデスリーガの1.FSVマインツ05からもオファーが届く。熟慮の末[52][53]、来日したクリスティアン・ハイデルGMから直接高評価を伝えられるなど[54][55]「誠意を見せてくれて必要としてくれた」[52][56]というマインツを選択。5月30日に移籍を発表した[53]。契約期間は2019年6月末までの4年間[57][58]、移籍金は非公表だが[57]推定300万ユーロ(4億円)とされる[59][60]。
8月10日のDFBポカール1回戦エネルギー・コットブス戦で公式戦初出場。同月15日にブンデスリーガ開幕節のインゴルシュタット戦で1トップとして途中投入されリーグ戦デビュー。8月23日には移籍後初の先発出場を果たし、29日に行われたブンデスリーガ第3節のハノーファー96戦で移籍後初ゴールを含む2得点を挙げた。10月31日、第11節のFCアウクスブルク戦で自身プロ初のハットトリックを決めてマン・オブ・ザ・マッチに選出された[61]。これにより、ブンデスリーガでハットトリックを決めた日本人として高原直泰に次ぐ二人目となった[62]。
2014年9月、キリンチャレンジカップ2014に臨む日本代表に招集され[63]、5日のウルグアイ戦で国際Aマッチ初出場を果たし、同月9日のベネズエラ戦で初得点を決めた。
2015年1月開催のAFCアジアカップ2015においては、パレスチナ戦ではドリブルでアハメド・マハジナの退場を誘発し[66]、ヨルダン戦では香川真司の得点をアシスト[67][68]。3トップ全ての位置で起用され、スーパーサブとしての[68]役割をこなした。しかし、準々決勝のUAE戦では決定機を外すなど精彩を欠き[69][70]敗退。大会を通じ無得点に終わった。
2015年6月27日時点
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