武藤嘉文の出身高校
武藤嘉文 議員
- 武藤嘉文卒業高校
- 岐阜高校 偏差値 岐阜県高校偏差値ランキング
- 議員ランキング
- 228位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1926年11月18日生まれ
武藤 嘉文(むとう かぶん、大正15年(1926年)11月18日 - )は、昭和、平成期の日本の政治家、元自由民主党 (日本) 自由民主党衆議院議員。岐阜県各務原市出身。農林水産大臣、通商産業大臣、外務大臣、総務庁長官を歴任した。祖父武藤嘉門、父武藤嘉一、二男武藤容治もそれぞれ衆議院議員である。岐阜県立岐阜高等学校出身。昭和26年(1951年)京都大学法学部を卒業し、ファミリー企業の武藤醸造に入社する。昭和29年(1954年)同社副社長、昭和34年(1959年)武藤本店社長に就任。昭和42年(1967年)第31回衆議院議員総選挙に旧岐阜1区から自民党公認で立候補し7万3733票を獲得し2位当選。以後13回連続当選を果たした。渡辺美智雄の側近として知られ、昭和54年(1979年)の四十日抗争では渡辺とともに非主流派に与した中曽根康弘から離反し、大平正芳首相支持に回った。11月9日に成立した第2次大平内閣では渡辺の推薦で農林水産大臣として初入閣を果たす。その後も渡辺の主宰する派閥横断の政策集団「温知会」に所属し中曽根別働隊として動くが、渡辺とともに政策科学研究所 (自民党) 中曽根派に復帰した。平成2年(1990年)第2次海部内閣の通産大臣。平成5年(1993年)病気辞任した渡辺美智雄の後任として、宮沢改造内閣の外務大臣として入閣する。平成7年(1995年)自民党総務会長に就任。平成8年(1996年)第2次橋本内閣の総務庁長官に就任し、橋本龍太郎首相の唱えた六大改革のうち、行政改革、省庁再編を政府側の責任者として推進した。
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