櫻井翔の出身高校

櫻井翔 タレント

櫻井翔卒業高校
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タレントランキング
21位 / 2233人中 タレント別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1982年1月25日生まれ
血液型
A型

櫻井 翔(さくらい しょう、1982年1月25日 - )は、日本のタレント、歌手、俳優、司会者、キャスター、アイドルで、男性アイドルグループ・嵐のメンバーである。

群馬県出生、東京都港区出身。ジャニーズ事務所所属。

1999年にアイドルグループ「嵐」のメンバーとしてデビューしてから約半年後、ジャニーズ事務所所属のアイドルとして初めて大学に進学。芸能活動を続けながら大学を卒業した後は嵐での活動と並行して個人の活動を徐々に増やし、キャスターや司会者など活動の幅を広げている。2010年代には、CM起用社数ランキングなど、企業の発表するさまざまなランキングで上位の常連となっている。

1982年、群馬県に生まれる。小学校在学時には東京に住んでおり、多くの習い事を掛け持ちしていた。当時は本人にとって学校がすべてであり、遊ぶ時間はないに等しかった。小学校はバスを2つ乗り継いで通っていたが、それが普通だと思っていたため苦ではなかった。Jリーグが開幕した小学5年時には地元のサッカークラブチームに入り、一時は真剣にブラジルへ留学することを考え自ら資料を集めるほどサッカーにのめり込む。しかし、上級生とともにプレーするチームに昇格したときに周りとの実力の差を痛感し、夢を諦める。

13歳の時、もしオーディションに呼ばれれば話のネタになるからと冗談半分でジャニーズ事務所に自分で履歴書を送り、ジャニーズJr.(以下Jr.)としての活動を開始する。

当時、光GENJIには憧れを持っていたが、本人曰く「芸能界を否定するような環境」で過ごしていたため、憧れと「ああいう人にはなってはいけない」という心理的な抵抗感との間で葛藤していた。芸能界に入ることについて母親は中立的であったが、父親は反対していた。2013年のインタビューでは、芸能界という特殊な世界に入ったことによって家族に心配や迷惑をかけたことについて、「罪の意識は感じる」と述べている。

Jr.の活動においては、試験のひと月前からは仕事も休むなど、学業を優先することを徹底しており、それによってJr.の中に自らの居場所がなくなったとしても仕方ないと考えていた。同じように試験で活動を休んでいた高校3年の6月、ジャニー喜多川からワールドカップのイメージキャラクターをやらないかという依頼を受け、承諾する(当時のJr.にはユニットが混在していたため、これも当然、一時的なユニットだと本人は考えた)。海外留学がしたいと当時のマネージャーに言い、却下されたときに初めて違和感を覚える。しかしそのときにはすでにメンバーが決まっていたため、引き返すことができない状況だった。

1999年11月3日、嵐のメンバーとして「A・RA・SHI」でCDデビューを果たす。突然訪れた人生最初の岐路に不安が募っていたが、あるファンの少年が生前の入院生活の中で嵐を「大切な存在」としていたことを知り、自分のした仕事が人のためになれることを肌で感じ、迷いを断ち切る。翌2000年の4月、慶應義塾大学経済学部に進学する。学生一本で通うにも勤勉さを求められる学部を自ら選択した理由を、本人は2013年のインタビューでこう語っている。

その学部を、仕事しながらでも卒業できれば、大学生活を全うしたと、胸を張って言えるんじゃないかと。分かりやすく、大人に認めてもらえるんじゃないか、って思ってた。つまり、あの学部は比較的ラクな方だよね、そりゃ嵐やりながらでも卒業できるよね、って言われたくない。そう思われるのはショックだ、って思ったんだよね。当時の僕は、誰にも文句を言わせる余地を与えたくなかったのかもしれないね。

2003年1月、日本テレビ『よい子の味方 〜新米保育士物語〜』で連続テレビドラマ初主演を果たす。試験とドラマの撮影が重なった時には、睡眠時間がとれず頭を洗いながら寝てしまったり、立ったまま寝てしまったことがあったという。また、試験前には友人とファミリーレストランに集まって勉強していた。2004年3月に大学を卒業したが、大学生活後半に他の学生が就職活動に入ると「誰もがこのときには定年までの人生を見通せるのに、自分は来年のことも見えていない」と危機感を覚えたこともあった。

2004年12月、『WEST SIDE STORY』で舞台初主演を果たす。2006年1月、初のソロ・コンサートを開催する。同年7月、『ハチミツとクローバー』で映画初単独主演を果たす。同年10月、NNN『NEWS ZERO』の月曜キャスターに就任(これ以降のニュースキャスターとしての活動については#ニュースキャスターとしてを参照)。2008年6月1日、コンサートのリハーサル中に、ステージから誤って転落し骨折する。

2010年の1月、マガジンハウスが発行する『an・an』に自身の初セミヌードが掲載される。当時、通常20万部の発行部数を2倍以上の44万3000部に増刷して発売したが全国の書店で完売店が相次ぎ、7万部重版された。2013年4月から、自身がメインMCを務めるTBSテレビ『今、この顔がスゴい!』の放送が開始される。同年7月、シンガポールのラッフルズ・ホテルに宿泊した著名人の写真を飾る「Hall Of Fame」に、日本の男性芸能人として初めて櫻井の写真が掲出される。

自らの性格を、「そこそこ明るく、そこそこ暗く、そこそこ優しくて、そこそこ面倒くさい人間」だと分析している。また、無礼、筋が通っていないことが嫌いである。

企業が発表するランキングの上位にたびたび名前が挙がる芸能人の一人であるが、「恋人にしたい男性有名人ランキング」での首位獲得について本人は、2013年4月11日放送の『はなまるマーケット』に出演した際に「30代にもなると冷静にうけとめられました」と述べている。

テレビ番組や公式の作品でピアノ演奏を行っている。2015年のインタビューでも、ピアノの練習を続けていることを明かしている。音楽を始めたのは3、4歳のころで、初めのうちは「何でこんなことやらされているんだろう」と疑問に思っていたが、大人になるにつれて譜面が読めるありがたさを感じるようになったという。

高所恐怖症であり、『VS嵐』のゲーム「クリフクライム」について「登るモチベーションがない。苦手じゃないけどいやだ」と語っている。

大学在学時に起こったアメリカ同時多発テロ事件をきっかけに報道の仕事に携わりたいと思うようになる。2006年から、NNN『NEWS ZERO』月曜キャスターを務める。 また、オリンピック開催時に日本テレビ系で放送される特別番組では、『2008北京オリンピック』から、『2010バンクーバーオリンピック』、『ロンドンオリンピック2012』、『2014ソチオリンピック』まで4大会連続でキャスターを務めた。2010年1月には、国際原子力機関事務局長の天野之弥と対談した[49]。同年、『24時間テレビ「愛は地球を救う」』の企画で、元ソビエト連邦大統領・ノーベル平和賞受賞者のミハイル・ゴルバチョフにインタビューした[50]。

キャスターの仕事について、櫻井は「他の仕事との優劣は全くないけど、仕事をしていくモチベーションになっていることは間違いない」と語っている[51]。また、『NEWS ZERO』での自らの存在意義について、「嵐の櫻井翔が出ているから」ということでニュース番組を見たり、ニュースに関心を持ったりする人がいることだと語っている[52]。将来自分の報道番組を持ちたいかという問いに対して、「キャスターのお話をもらった時には夢のスタートラインに立てたような感覚だったが、夢のゴールはここでなく真ん中に座って番組を任されることだ」と答えている。

芸能人で交流があるのは俳優の妻夫木聡[53]など。妻夫木と櫻井は『天国に一番近い男』の共演後に意気投合し、かつては毎日のようにカラオケに行っていたという[53]。 同じ事務所で交流がある後輩は、NEWSの小山慶一郎、Sexy Zoneの菊池風磨など。小山は、日本テレビ系『news every.』にて硬い話題を扱った際に、「(今日のチーフの色は)もうちょっと多分、色落ち着かせた方が見てる人イヤじゃないかな」と服装を指摘するメールを受け取ったことを明かし、「(報道の世界に)線路を作ってくれた先輩」と評した[54]。また、菊池と櫻井は菊池の大学入学以降に定期的に連絡を取り合うようになり、櫻井が菊池に仕事と学業の両立のしかたをアドバイスしたり、プライベートの相談にのったりしているという[55]。

本人が主演を務めた映画『神様のカルテ』の深川栄洋監督は、彼の特性を「キレない強さ」だと評し、「(彼は)自身が傷つくことを恐れないし、我慢して考え抜けば必ず自分の糧、太い筋肉になると知っていて、そのための努力ができる人」と語っている[56]。また、本人が主演を務めたドラマ『家族ゲーム』の稲田秀樹プロデューサー曰く、「普段からジャーナリスティックな視点で物事を見ている」とのこと[57]。

2012年にテレビ番組で櫻井と対談した当時の日本代表サッカー選手である長友佑都は、櫻井の印象について「櫻井さんはすごくインタビュー上手で話しやすかったよ。色んな人にインタビューして頂く機会があったけど、櫻井さんは特に話しやすかったな。さすがやね。」と語っている[58]。また、同じくテレビ番組の企画で2015年に櫻井と対談した当時の日本代表サッカー選手であり、慶應義塾大学の後輩でもある武藤嘉紀は、「とても刺激を受けた。話をしていて、人を惹きつける力を持っている方。自分もそういう力を自然と出せるようになりたい」と語っている[59]。

「(自分は)嵐でなければ何もできない。嵐だからというのが僕らの存在理由。」と考えている[60][61]。また、仲がいいという売り文句に対して、みっともない、恥ずかしいという考えを過去に持っていたこともあり[62][63]、「仲がいい嵐を好きな人が多いから、これからも仲良くし続けるということにはしたくない。クリエイティブなことをしていく中で、肩を一緒にくんでいる感じがいい状態だと思っている。」と語っている[64]。将来的には「嵐」という木の幹を太くして[65]、成熟した大人のグループになっていくと同時に、見る人の心を温めるようなグループになっていきたい、そしてそのためにも今後もずっと嵐のメンバーであり続けたいと語っている。

仕事を始めた当初から一貫して、「疲れた」「大変だ」「眠い」「つらい」という言葉が嫌いであるため、自身も使わないようにしている[66]。また、仕事で感情的になることはなく(プライベートではいいが)、感情や機嫌によって仕事に波のある人が嫌いである[67]。

好きだから一緒にいたいという気持ちが恋愛のすべてであるという恋愛観を持っている[68]。2013年4月11日放送の『はなまるマーケット』出演時には、「お互いが成長する関係とお互いに刺激を受ける関係とか言うけど。あれ、いらない!」「好きだから一緒にいるわけで、一緒にいたいから一緒にいるという動機しかない。成長を求めることはない」と持論を語った。また、結婚については「結婚することで安定が得られるというのはまやかし。期待しないくらいがちょうどいい。」と述べている[69]。

2003年の11枚目のシングル「言葉より大切なもの」以降、ラップ部分の歌詞は全て櫻井自身が手がけている。

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