権藤博の出身高校
権藤博 プロ野球選手
- 権藤博卒業高校
- 鳥栖高校 偏差値 佐賀県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 2098位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1938年12月2日生まれ
権藤 博(ごんどう ひろし、1938年12月2日 - )は、佐賀県鳥栖市出身のプロ野球選手(投手)・プロ野球監督。現役時代の酷使(後述)に耐え切れず引退した悲運の投手。引退後は中日ドラゴンズ 中日、大阪近鉄バファローズ 近鉄、福岡ソフトバンクホークス ダイエー、横浜ベイスターズ 横浜のコーチ・監督を歴任した。現在は野球評論家として活躍。鈴木孝政、小松辰雄、牛島和彦、吉井理人、阿波野秀幸、村田勝喜、吉田豊彦、下柳剛などを育てたコーチとして知られる。佐賀県立鳥栖高等学校 鳥栖高校からブリヂストン ブリヂストンタイヤを経て1961年に中日へ入団。同年のオープン戦で28回3分の1を投げて自責点1(防御率0.31)という驚異的な成績を残し、1年目よりエースとして大車輪の活躍。この年チーム試合数130の半分以上に当たる69試合に登板、そのうち先発登板は44試合。35勝19敗、投球回数429 1/3回、三振 奪三振310、防御率1.70を記録。連投に連投を重ねる権藤を指した「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤」という流行語も生まれた。当時はまだ先発ローテーションなどなくエース格の投手が優先的に登板していた時代。同年パシフィック・リーグ パ・リーグでは稲尾和久(西武ライオンズ 西鉄)が78試合に登板し42勝の日本記録を樹立しているが、こと先発登板に限定すれば権藤ほどの連投は戦後久しく例がなかったのである。翌年は多少数字を落とすも、61試合に登板(先発登板39)、30勝17敗、投球回数362 1/3回、奪三振212、防御率2.33の成績を残し2年連続最多勝利 最多勝に輝いた。しかし3年目の1963年に10勝しか挙げられず、1964年は6勝と調子を落とした。1965年から打者に転向するが芽が出ず、1968年に投手復帰するも球威が衰え30歳の若さで引退した。
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