榎田大樹の出身高校

榎田大樹 プロ野球選手

榎田大樹卒業高校
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性別
男性
生年月日
1986年8月7日生まれ

榎田 大樹(えのきだ だいき、1986年8月7日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。愛称は、JX日鉱日石エネルギー(ENEOS)のイメージキャラクターに容姿が似ていることから付けられた「エネゴリ」、「ゴリ」。

大崎小学校4年時に地元の鹿児島県・大崎ソフトボールスポーツ少年団に所属しソフトボールを始める。5年生の時には全国大会優勝。当時、同チームの1学年先輩には松山竜平(現広島)が在籍して捕手を務めており、榎田ともバッテリーを組んでいた(なお、このチームの監督の新留勝郎は、阪神で榎田とチームメイトとなる福留孝介を指導した人物である)。

大崎中学では野球部に入り投手兼外野手。小林西高では1年春からベンチ入りし、秋からは本格的に投手として起用されるようになる。3年の夏は、準決勝で日南学園高に敗れベスト4。甲子園出場はならなかったが、打者として注目され、投手としても高く評価されるも、体育の教員免許が取れる福岡大学に進学。2年上には後に東北楽天ゴールデンイーグルスに入団する藤原紘通、1年上には後に阪神でチームメートとなる白仁田寛和がいた。4年春には肘を痛めながら2勝を挙げリーグ優勝に貢献し、大学選手権出場を決めた。リーグ通算12勝で、ドラフト候補にも挙げられたが指名されず、東京ガスに入社した。東京ガス時代のチームメイトに、後に楽天に入団する美馬学がいる。

東京ガスでは入社1年目から投手の柱として活躍し、2009年の都市対抗野球では若獅子賞を受賞し、好左腕として注目される。2010年の都市対抗戦でも大活躍した。同年10月28日、ドラフト会議にて阪神タイガースから1位指名を受け、11月26日に契約金1億円プラス出来高払い5,000万円、年俸1,500万円で仮契約を結んだ。11月には広州アジア大会日本代表に選ばれ銅メダルを獲得した。

2011年には新人ながら、開幕から中継ぎ投手として活躍。5月24日の対埼玉西武ライオンズ戦でプロ初勝利を挙げると、7月7日の対中日ドラゴンズ戦ではプロ初セーブを記録した。さらに、オールスターゲームにも監督推薦で出場。阪神の新人選手がオールスターに出場するのは、1994年の藪恵壹(2011年時点では阪神の一軍投手コーチ)以来であった。後半戦には、序盤こそ疲労で二軍落ちを経験したものの、8月15日に再昇格。その後もセットアッパーとして起用された。なお、シーズン通算では、1955年の西村一孔が記録した60試合を上回る球団新人新記録の62試合に登板。また、セントラル・リーグの新人投手では史上最多となる33ホールドを記録した(シーズン通算では2位)。

2012年には、3月1日に東京都在住の一般女性と結婚することを発表。前年に続いて開幕からセットアッパーとして活躍するとともに、日本プロ野球シーズンタイ記録の8試合連続ホールドを記録。9試合目での登板でも無失点に抑えたが、チームが8点差を付けていた場面からマウンドに立ったため、ホールドが付かず新記録の達成を逃した。オールスターゲームでは、選手間投票で選出されていた中日のトニ・ブランコが左手骨折のために出場を辞退したことから、代役ながら阪神としては藪以来となる入団1年目からの2年連続出場が内定していた。しかし、内定後に左肘の関節を痛めたため、結局は榎田自身も辞退せざるを得なくなった(榎田の代役は中日の新人投手・田島慎二)。8月21日に一軍へ復帰したが、左肘痛の再発をきっかけに左肘関節炎との診断を受けたため、9月21日に再び出場選手登録を抹消。同月27日には、シーズン終盤にもかかわらず、翌シーズンの早期復帰に備えるべく左肘遊離軟骨の除去手術を受けた。

2013年には、前年の左肘手術の影響から、連投を避けるなどの目的で先発に転向。プロ初先発になった4月4日の対中日戦(京セラドーム)では、6回2死まで無安打に抑えたものの、失策による1失点(8回2安打自責点0)で敗戦投手になった。しかし、2試合目の登板になった同月11日の対巨人戦(甲子園)で、8回途中を2安打無失点に抑えて先発初勝利。一時は、セントラル・リーグの防御率でトップに立っていた。7月17日には、オールスターゲーム前最後の公式戦であった対巨人戦(甲子園)に先発。6回1失点で4勝目を挙げた。しかし、同月28日の対横浜DeNAベイスターズ戦(甲子園)では、プロ入り後ワーストの6失点で敗戦。9月15日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、ウラディミール・バレンティンから1回裏にシーズン本塁打の日本プロ野球新記録の56号本塁打、3回裏の第2打席に2打席連続でアジア野球新記録の57号本塁打を浴びた。さらに、この試合では、先発としてプロ入り後最短の3回で降板。翌16日に一軍登録を抹消されると、一軍に復帰できずにシーズンを終えた。この年はリーグ連覇を果たした巨人から先発で3勝を挙げたものの、シーズン終了後の契約更改では、球団からプロ入り後初めて減俸を提示されている。

2014年は開幕3戦目の対巨人戦(3月30日)に先発するも3回4失点で敗戦投手となると、以後先発した3試合中2試合で4回持たずに降板するなど打ち込まれ、4月20日に登録抹消された。6月8日の対福岡ソフトバンクホークス戦で初回から大量の援護点を貰いながら3回途中6失点で降板した後は、中継ぎへ配置転換された。8月は左肩の違和感で8日に登録抹消され、最短期間で一軍復帰したが3試合で計2失点と結果を残せず、2軍落ちとなった。最終的に先発では0勝に終わり、左のリリーフ陣が手薄なチーム事情もあって翌シーズンは中継ぎへ再転向することとなった。

平均球速約139 km/h、最速150 km/hのストレートと二種類のスライダー(本人いわく120 km/h前後の縦気味のスラーブとカットボール)、二種類のスクリューボール、フォークボール、カーブを投げ分ける。フォークボールは回転のない独特の軌道で落ちるため、アマチュア時代は1試合に1・2球投げる程度だった。

クイックも速く、一塁カバーリングも上手い。

元々は中日ファンであり、同じ左腕でプロ入り後は背番号も同じである岩瀬仁紀に憧れていた。オールスターゲームでは同僚の藤川球児の計らいで岩瀬と対面し、キャッチボールをした。

EXILEのKEIJIが高校の硬式野球部の7年先輩にあたる縁から、阪神入団当初から登場曲をEXILEの楽曲にしている。

2歳下の実弟は同じサウスポーで、現在日本新薬硬式野球部で主戦格としてプレーしている。

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