森川美穂の出身高校
森川美穂 ミュージシャン
- 森川美穂卒業高校
- 日出高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
- ミュージシャンランキング
- 740位 / 829人中 ミュージシャン別偏差値ランキング
- 生年月日
- 1968年5月5日生まれ
森川 美穂(もりかわ みほ、1968年5月5日 - )は、日本の歌手、女優。本名は榎並 美穂(えなみ みほ)。大阪府出身。日出女子学園高校卒業。所属事務所はヤマハ音楽振興会→とらねこ→オフィスとんで→KT plus Entertainment。現在大阪芸術大学准教授。担当は音楽学科のヴォーカル実技。身長163cm。
魚屋を営む家に生まれる。家族は、両親、兄、弟。
小学校時代から気が強い性格で、女の子と遊ぶより男の子と活発に遊ぶことを好んだ。一方で、梓みちよ、八神純子、岩崎宏美、大橋純子、沢田研二などの個性的で実力派といわれた歌手に憧れていた。ヘアブラシをマイク代わりにして歌の練習をしていたという。この頃、地域で開催されたのど自慢大会やテレビ番組の子供向けの歌のコンテストに出場し、数々の入賞を果たしている。
中学に入学したころから本格的に歌手になることを決意。早速行動を起こし、渡辺プロダクションの東京音楽学院大阪校に通い、ボイストレーニングを受けるようになる。早い段階から元来の才能が芽吹き、磨きがかかり実力と自信をつけていった。歌唱力に加え、容姿も良かったため、渡辺プロダクションから正式に事務所に所属し、アイドル歌手としてデビューするよう打診があった。しかし、まだ中学生であったため、心配した実父の大反対によりデビュー話は一旦差し戻されてお蔵入りに(著書:1990年出版「テーブル越しの好奇心」記載のエピソードから)。
諦めきれなかった森川は、1981年(昭和56年)、ヤマハボーカルオーディションを受け、大阪地区代表に選出される。最終結果は不合格だったが、ヤマハのスタッフに別途スカウトされ、改めてヤマハでボイストレーニングを開始する。
1983年(昭和58年)、本名:榎並美穂で、オリジナル曲「ハネムーンサラダ」で第26回ヤマハ・ポピュラーソングコンテスト(ポプコン)に近畿地区代表で出場。その時、同じ地区代表に選ばれたのが、グランプリを獲得した辛島美登里だった。辛島曰く「美穂ちゃんは当時中学生なのに歌手になる信念がしっかりしていた。しかもちょっと気が強い子で可愛かった」と語っている。
1983年(昭和58年)、ヤマハボーカルオーディション「ザ・デビュー」(現「MUSIC REVOLUTION」)にて約1万人の中からグランプリを受賞。これがきっかけで、ヤマハ音楽振興会に所属。レーベルはVapレコード。歌手デビュー前に、第1回ヤマハヴォーカルオーディション「ザ・デビュー」グランプリの小林千絵主演ミュージカル『小公女セーラ』に出演している。
1985年(昭和60年)7月21日、シングル「教室」で、アイドル歌手としてデビュー。キャッチコピーは「多感世代のヴォーカルヒロイン」。セールス的には大きなインパクトはなかったが、高校中退というテーマと新人アイドルらしからぬその歌唱力は業界内外に少なからぬ衝撃をもたらした。 芸名の姓“森川”は、母親の旧姓にちなむ。 Vapレコードの一押しアイドル歌手で、ザ・トップテンの今週の話題曲として紹介された。 番組内で当時同じレコード会社だった先輩アイドル歌手・菊池桃子の妹分として紹介され共演を果たした。本人はポスト菊池桃子的なレコード会社の売り方が嫌で、同世代の渡辺美里、小比類巻かほる、中村あゆみのような音楽性を希望していた。 同期には本田美奈子、中山美穂、南野陽子、浅香唯など。のちにトップアイドルになる華々しい顔ぶれと並んでのデビューだった。 デビューから間もなく、東海ラジオで『森川美穂の青春放送局』がスタート。東海地方の深夜枠では欠かせない存在となり、森川組(しんせんぐみ)というリスナー組織も結成。定期的にイベントなども行い、ファン層が拡大していく(1991年に森川組は解散)。
1986年(昭和61年)、自殺をコンセプトに置いたシングル「赤い涙」、本人出演 MAXコーヒーCMソング、シングル「サーフサイド・ブリーズ〜真夏の風」、ミノルタカメラ『AFテレ』CMソングシングル「姫様ズーム・イン」を発売。 ファーストアルバム「多感世代」発売。ファーストアルバム発売を記念して、ファーストコンサートツアー「多感世代」を8/21東京・渋谷エピキュラス、8/27大阪・ヤマハなんばセンターで行う。
1987年(昭和62年)、飛鳥涼作詞作曲のシングル「おんなになあれ」、シングル「PRIDE」がヒット。 「おんなになあれ」では、HER-Bestの歌詞カードの中に当時のエピソードして飛鳥涼が『制服を脱いで1人のおんなとして恋をしたら美穂はどんな恋をするんだろう・・・と思ってこの歌を作ったんだよ』と披露している。 この2曲を機にロックを基調としたアーティスト路線に変更し、この頃には「学園祭の女王」と呼ばれるようになる。 初ホールコンサートツアー「おんなになあれ・夏」を8/28大阪・大阪厚生年金会館、8/31東京・日本青年館で行う。
1988年(昭和63年)、ベルエクラCMソングシングル「Be Free」、ミノルタカメラCMソングシングル「わかりあいたい」、シングル「Real Mind」を発売。また、市川猿之助演出モーツァルトオペラミュージカル『イダマンテ』で、ヒロイン(近藤真彦の相手役)に選ばれ出演。「NUDE VOICE」LIVEツアーを1/6東京・日本青年館、1/7大阪厚生年金会館中ホール、1/8愛知県勤労会館、1/20横浜関内ホールで行う。「VERSION C」LIVEツアーを7/20大阪厚生年金会館、7/22愛知県勤労会館、7/28渋谷公会堂で行う。
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