棟田康幸の出身高校

棟田康幸 スポーツ選手

棟田康幸卒業高校
世田谷学園高校 偏差値 東京都高校偏差値ランキング
スポーツ選手ランキング
1857位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1981年2月10日生まれ

棟田 康幸(むねた やすゆき、1981年2月10日 - )は、日本の柔道家。講道館柔道六段。

愛媛県松山市出身。松山市立石井北小学校に入学。幼少時に父の手ほどきを受けて柔道を始め、小学校卒業後に上京。柔道私塾講道学舎へ入寮し、世田谷区立弦巻中学校を経て世田谷学園高等学校へと進学する。講道学舎は、厳しい規律と練習で知られ、同期入門者13人のうち最後まで残ったのは4人だった。 1998年、世田谷学園3年時、金鷲旗の決勝・国士舘高校戦において史上初となる4人抜きを成し遂げ、世田谷学園を優勝に導く。個人戦においても全国高等学校柔道選手権大会、インターハイを制覇し、史上最年少で嘉納治五郎杯優勝を飾るなど、名実ともに高校柔道界最強の選手と呼ばれた。

世田谷学園卒業後は明治大学に進学。大学時代は講道館杯を制し(1999年、2001年)、全日本柔道選手権大会や世界柔道選手権大会など世界トップレベルの大会へ多数出場し続け、また4年連続で全日本学生柔道優勝大会の優秀選手に選出されている(4回選出は山下泰裕や正木嘉美など、棟田を含め史上5名しかいない)。大学卒業後は警視庁へ入庁、2003年の世界選手権ではタメルラン・トメノフ(ロシア)ら強豪を破り、22歳の若さで最重量クラスの世界チャンピオンとなった。2007年世界柔道選手権大会においても無差別級で優勝を果たした。

2008年はドイツ国際を優勝したが、北京オリンピック最終選考の全日本選抜柔道体重別選手権大会、全日本柔道選手権大会をともに優勝できず北京オリンピックでの代表はならなかった。

2013年の全日本選手権には大学1年で初出場して以来15年連続の出場となったが、準々決勝で日本大学の原沢久喜に指導3で敗れた。

棟田は2度の世界選手権優勝を誇り、10年以上に渡り常に重量級の第一線に君臨するものの、五輪への出場経験がない。同様のケースでは、かつて4度世界選手権を制した藤猪省太が五輪への出場経験がない。また、未だに全日本選手権のタイトルを獲得していないのも特筆される。同大会へは歴代最多の15回の出場を果たしているものの、3度準優勝に輝いたのが最高成績である。

最重量級の選手としては珍しく、身長が170cmと低めで、怪我が絶えない。しかし、身長が低い故に重心が低く腰も重いため、安定感においては右に出るものはいないと言われている。得意技は体落、裏投、支釣込足など。昔は背負い投げや一本背負いなども得意とし、現在は試合においては手数が少なく指導や注意を受けることが多いが昔は積極的に攻める柔道であった。勝敗にかかわらず試合後の礼で深々と頭を下げる棟田の礼儀正しさは、内外で高い評価を受けている。

鈴木桂治とは、階級の近いライバル関係であると同時に同学年の親友同士としても知られている。2004年のアテネオリンピック直前の強化合宿において棟田は、本来は100kg級でありながら100kg超級代表に選出された鈴木に対し、100kg超級の強豪選手の特徴を連日付きっ切りで教え込んだ。その後鈴木はアテネ五輪で金メダルを獲得、大会後には「棟田の言う通りだった」、「二人で取った金メダル」と棟田に対し感謝の言葉を贈っている。

父の利幸も柔道家で、四国代表として10年連続で全日本選手権に出場した実力者である。梶原一騎原作の漫画『空手バカ一代』には、芦原英幸のライバルの一人として、利幸をモデルにした雲井代悟という柔道家が登場している(現実の利幸も、芦原とは親交が深かった)。現在は愛媛県柔道協会理事長。

カラオケではコブクロを唄い、服装は地味。好物は蕎麦である。

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