桑原隆の出身高校
桑原隆 サッカー選手
- 桑原隆卒業高校
- 藤枝東高校 偏差値 静岡県高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 221位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1948年5月5日生まれ
桑原 隆(くわはら たかし、1948年5月5日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者。静岡県藤枝市出身。フットメディアに所属。
現役時代は古河電気工業サッカー部(ジェフユナイテッド市原・千葉の前身)でプレーし、現役晩年にはコーチも兼任。、PJMフューチャーズ/鳥栖フューチャーズでコーチや監督などを務めた後、1996年に強化育成アドバイザーとしてジュビロ磐田入りした。
1997年にトップチームコーチに就任し、監督のルイス・フェリペ・スコラーリの下で指導を行う。しかしフェリペは第1ステージの途中で突然退団した。その後任に桑原が選ばれるが、当時桑原はトップチームの監督に就任するのに必要なS級ライセンスを持っていなかったため、監督代行として指揮を執ることになった。
しかし、この年は第2ステージに優勝し、さらにサントリーチャンピオンシップも勝ち、ジュビロを初の年間王者に導いた。監督代行としてJリーグの年間王者になったのは桑原だけである。
1998年は強化部長としてフロント入りし、S級ライセンスを取得した。S級ライセンス取得を受けて1999年に正式にトップチームの監督に就任し、第1ステージを制覇。名波浩のSSCヴェネツィア移籍後の第2ステージは低迷するが、チャンピオンシップで清水エスパルスを破りこの年も年間王者になる。桑原は1年限りで辞任するが、中山雅史を始めタレントが揃ったジュビロはその後数年間黄金時代を迎える。監督辞任については、一説には、「名波と心中」とさえ発言するほど名波の重要性を説きながら、フロントが名波の穴埋めとなる補強としてクロアチア代表アリョーシャ・アサノビッチなどの獲得に動いていたものの、桑原が現有戦力で戦うとして拒否。結果として第2ステージの低迷を招いた責任をとったともいわれている。
その後、2004年に柳下正明の辞任を受けて再度監督に就任するが、前回監督時の主力はチームを去ったり高齢化していて戦力は低下していた。それでも第1ステージは優勝争いを演じて2位になったが、第2ステージに入ると敗戦が続き、優勝争いどころか最下位争いに巻き込まれ、9月13日に解任されてしまった。
磐田退団後は浜松大学サッカー部の監督を務めていたが、2008年、早野宏史の後任として横浜F・マリノスの監督に就任、4年ぶりにプロチームを率いることになった。2年契約を結んでの指揮だった。序盤こそ3位になるなど好調だったが、不調なブラジル人選手を頑なに使い続けるコンディションより実績重視で臨んだことが凶に出て、第16節終了時点で降格圏内の16位に低迷し、7月14日に解任された。
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