桂吉朝の出身高校
桂吉朝 落語家
- 桂吉朝卒業高校
- 今宮工科高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
- 落語家ランキング
- 94位 / 129人中 落語家別偏差値ランキング
- 生年月日
- 1954年11月18日生まれ
桂 吉朝(かつら きっちょう、1954年11月18日 - 2005年11月8日)は、大阪府堺市出身の落語家。本名は上田 浩久(うえだ ひろひさ)。出囃子は、『外記猿』。
弟弟子の桂米左とともに日本のアニメーションの元祖とも言われる「錦影絵」を演じ、上方落語界の次世代を担うホープ、また米朝の後継者として期待が高かった。
しかし、1999年に胃癌を患い、手術を受け一度復帰したものの、2004年10月になって胃癌を再発。その後治療を続けながら高座を務めていたが、既に末期癌であった。2005年11月8日逝去、享年50歳。
最後となった高座は10月27日に国立文楽劇場で行われた「米朝・吉朝の会」。米朝は、吉朝たっての希望で、近年高座にかけることが少なくなっていた「狸の賽」を口演。吉朝は、当初「河豚鍋」と「弱法師」の2席を予定していたが、楽屋では医師付き添いのもと酸素を吸入しながら45分以上をかけて「弱法師」を演じるのが精一杯で「ふぐ鍋」を演じる事は出来ず、「劇場の前を偶然通りかかった」という雀松が「替り目」を代演して穴を埋めた。終演後しばらくは観客からの拍手が鳴り止まなかった。吉朝はそのわずか12日後に亡くなった。
直前まで吉朝が「米團治」を、3代目桂小米朝が「米朝」を襲名する話が進められていたが吉朝の死去により実現しなかった。後に小米朝が「5代目桂米團治」を襲名する事になる。
長男の上田康介は1983年生まれ。2007年頃からカメラマンとして活動。
弟子は他の枝雀・ざこば一門と異なり大師匠米朝宅での住み込みでの内弟子修行するのが恒例。
CD
2005年12月21日の「桂吉朝を送る会」にて満中陰志として参列者に配られたもので、のちに限定1,000枚で制作された。番号は命日を入れた「KICHO 1108」。収録されている「弱法師」は最後の高座。
『くっしゃみ講釈』『深山隠れ』の特典CD付き
DISC1 蛸芝居(’00)、たちきり(’96) DISC2 仔猫(’95)、はてなの茶碗(’97) DISC3 ふぐ鍋(’01)、どうらんの幸助(’99) DISC4 米揚げ笊(’01)、住吉駕籠(’98) DISC5 崇徳院(’93)、猫忠(’94) DISC6 高津の富(’98)、狐芝居(’00) DISC7 不動坊(’03)、質屋蔵(’97)
よみうりテレビ(YTV)では、深夜に「平成紅梅亭」というハイビジョン収録の、落語中心の寄席番組を95年より10年以上に渡って放映している。
人間国宝・桂 米朝もむろん折々には出演してはいるが、その第1回から第10回まで、桂 吉朝は連続出演しており、上方の古典落語の、将来へむけてのアーカイブ化をも見越した企画であるとともに、米朝から受け継いだ上方落語を自家薬籠中のものとした吉朝を売り出す意図が明らかに感じられた番組のスタートであった。実際、放送開始時の95年には、YTV主催の「上方お笑い大賞」金賞を受賞している。
事実、この放送以降、「凄い落語家がいる」という評判が深夜族から広がっていき、ディープな落語ファン以外にも、関西では吉朝は知る人ぞ知る存在となっていく(のち2001年に「上方お笑い大賞」大賞を受賞)。
TBS「落語特選会」やNHK、BS-i「BS落語研究会」など、他局にも吉朝落語の映像は残っているが、演目の網羅性という意味では、最もまとまったライブラリーがYTVの、この「平成紅梅亭」のものであり、すでにDVDされたものもあるが(備考およびDVDリスト参照)、東芝EMIには、たとえ限定版のボックスセットでもかまわないので、さらなる『特選・吉朝庵』の発売を、また、YTVには、せめて再放送を定期的に、と期待するファンの声は多い。
→桂吉弥「桂吉朝とわたし」・中野晴行「栴檀は二葉より芳し」・松本尚久「清浄なる高座」を収録。
→小佐田定雄「吉朝の遺したもの」、茂山千五郎・豊竹英太夫・わかぎゑふ・桂吉朝一門「ありがとう吉朝師匠」、桂小米朝「米朝一門の若旦那が語る吉朝」、桂米朝「愛弟子、吉朝へ…」
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