根岸誠一の出身高校
根岸誠一 サッカー選手
- 根岸誠一卒業高校
- 文星芸術大学附属高校 偏差値 栃木県高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 685位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1969年4月20日生まれ
根岸 誠一(ねぎし せいいち、1969年4月20日 - )は栃木県鹿沼市出身の元サッカー選手で、現在は宇都宮チェルトスポーツクラブの代表を務める。
宇都宮学園高等学校に入学し、1年時から公式戦に出場し、同学年だった1985年度の全国高校サッカー選手権・第64回大会では同校初のベスト4進出に貢献した。続く1986年度の第65回大会でもレギュラーとして本大会に出場し、前回大会で得点王となった1年上の黒崎久志キャプテンの下でベスト8に進出。北海道の室蘭大谷高等学校と対戦した準々決勝は0-0のスコアレスドローでPK戦まで突入し、両校それぞれの11人の選手が全員成功して二周り目に入った後も14人目まで失敗無く進んだが、宇都宮学園15人目(通算29人目)のキッカーとして再び登場した根岸が蹴ったボールは室蘭大谷のGK星野に止められ、その直後の室蘭大谷のキッカーが成功して、宇都宮学園は14-15で敗れた。この高校サッカー史に残る壮絶なPK戦で失敗して泣き崩れる根岸の姿は、当時のサッカーファンに強烈なインパクトを残している。この第65回大会で根岸はベストイレブンに選出され、ヨーロッパ遠征メンバーにも選出されている。
高校卒業後、高校の先輩の黒崎の後を追う形で日本サッカーリーグ1部の本田技研に入団し、本田が日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)への参加を見送るとプロ化を表明した住友金属に移籍。ここでも黒崎と行動を共にし、元監督の宮本征勝や同学年の本田泰人などと共に鹿島アントラーズとなった同チームの基盤を築いた元本田在籍選手の一員となった。根岸自身もU-21日本代表候補に選ばれるなど活躍したが、腰と膝の怪我の影響により、1993年のJリーグ開幕を前に退団した。
Jリーグ退団後は、地元の鹿沼市に戻り、同市に拠点を置くクラブチーム、宇都宮チェルトFC・FCアネーロを創設。現在も同チームの監督を務め、幼稚園・小学生・中学生それぞれの世代で県大会1位を獲得するほどの手腕を発揮する。
監督としての教育スタイルは、選手個人を尊重し、楽しくサッカーをするということに重きを置く。選手を盛りたてて選手個人が持つ潜在能力を引き出し、どの世代でも実力あるチームづくりをするため、栃木県内の中学生・高校生の監督陣から、また「根岸マジック」にやられた、と言われるほど一目を置かれる存在である。
教え子の中には、Jリーグや海外リーグで活動する金子剛や和久井秀俊など、プロサッカー選手に成長した選手も多い。
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