栗澤僚一の出身高校

栗澤僚一 プロサッカー選手

栗澤僚一卒業高校
習志野市立習志野高校 偏差値 千葉県高校偏差値ランキング
プロサッカー選手ランキング
436位 / 814人中 プロサッカー選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1982年9月5日生まれ

栗澤 僚一(くりさわ りょういち、1982年9月5日 - )は、千葉県松戸市出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー(MF)。Jリーグ ディビジョン1、柏レイソル所属。流通経済大学法学部卒。

兄の影響で 6歳の時に サッカーを始める。小学校卒業に併せて柏レイソルのジュニアユース加入を図ったが選考を通らず、中学生時にはなかなか専門的指導を受けられずにいた。トレセンでのプレーが認められ、1998年に県内の強豪校である習志野高校へ進学したが、全国大会での好成績を残せず、千葉県選抜として臨んだ国体も地区予選で敗れたため 全国的には無名の存在だった。

習志野高校サッカー部本田裕一郎監督の紹介を受け、2001年に流通経済大学へ進学。同大学は強化に乗り出してから年が浅く、同年は茨城県大学リーグに所属していたが、栗澤は2学年上のFW阿部吉朗の練習に取り組む姿勢から刺激を受け、阿部との好連携によってプレーも磨かれていった。3年時には関東大学リーグ2部で優勝し、先輩の塩田仁史及び池田昌広と共にベストイレブンに選出された。大学在学中の2004年から、特別指定選手としてFC東京に加入。MFケリーの負傷離脱などによって出場機会を掴むと、巧みなボールコントロールや基本技術の高さで信頼を掴み、7月には翌年からのFC東京との契約を結んだ。

2005年に大学を卒業してチームに再合流。シンプルに味方を使って リズムを作り、豊富な運動量とミスの少ない堅実なプレーで貢献。ルーキーながら同年のリーグ戦全試合に出場した。Jリーグ初得点はJ1第4節ジュビロ磐田戦。当時FC東京が苦手としていた磐田から5年ぶりの勝利を勝ち取る値千金の決勝弾だった。2006年は負傷の影響で出場機会を減らしたが、フォアザチームを体現するプレーぶりへの信頼は厚く、同年をもって現役を引退する三浦文丈からは自身の背番号10を受け継いでほしいと後継者に指名されていた(2007年にパウロ・ワンチョペが10番を付けたため実現せず)。復調後は攻守のバランスを取りつつ チームの潤滑油として奮闘を続けていたが、2008年になると新加入のMF羽生直剛と役割が重なったことなどにより、出場機会を激減させていた。

2008年8月、鈴木達也との交換トレードの形で 柏レイソルへレンタル移籍。谷澤達也の移籍によって空いた背番号28 を着用し、 主に攻撃的な位置に入り 得点に絡むことを意識してプレーしていた FC東京在籍時とは一転、ボランチとしてレギュラーに定着した。2009年も移籍期間を延長して拍でのプレーを続けたが、チームの失点増加を食い止めきれず、自身初のJ2降格を喫した。2010年からは柏へ完全移籍。警告処分を厭わない 守備でチームを支え、リーグ最小失点でのJ2優勝及びJ1復帰に貢献。翌2011年にはJ1優勝を果たした。その後もこぼれ球の予測に長けセカンドボール回収に優れる ボランチの中軸として出場を続け、主将大谷秀和に代わってゲームキャプテンを務める機会も少なくなく、2013年のヤマザキナビスコカップでは自身の手で優勝杯を掲げた。また、同年3月にタレントの佐藤弥生と結婚。

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