柳家喬太郎の出身高校

柳家喬太郎 タレント

柳家喬太郎卒業高校
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性別
男性
生年月日
1963年〈昭和38年〉11月30日生まれ
血液型
A型

柳家 喬太郎(やなぎや きょうたろう、1963年〈昭和38年〉11月30日 - )は、東京都世田谷区出身の落語家。社団法人落語協会所属。本名は小原 正也(こはら まさや)。日本大学商学部経営学科卒業。出囃子は「まかしょ」。紋は「丸に三つ柏」。通称「キョンキョン」(自称)。

小学校3年生まで世田谷区の大蔵団地で育ち、のち横浜市に移った[注釈 1]。子どものころの愛称は「マーちゃん」であった。少年時代は「ウルトラマン」シリーズや「ゴジラ」などの怪獣映画をこよなく愛し、現在も落語界きってのウルトラマンフリークとして知られる[注釈 2][注釈 3]。

落語を好きになったのは中学時代からであった。横浜市港北区の日本大学高等学校から、子ども時代に住んでいた団地近くの日本大学商学部経営学科へと進学、経商法3学部の落語研究会に入って「砧家駄楽」を名乗った[注釈 4]。高校時代から大学では落研に入ろうと心に決めていたが、当時、自分から落研の門を叩く人間は少なかったため、先輩からは大いに驚かれたという[注釈 5]。日大落研では度胸をつけるために「ストリート落語」をしたり、失恋して最も傷ついた相手の女性の名を叫ぶなどの荒修行をおこなった。落語づけの毎日で、老人ホームの慰問や成人式の催しで落語を演じ、そのため自分の成人式には出なかったということさえあった。4回生の時には関東大学対抗落語選手権で優勝した。また、大学在学中に本名でフジテレビ「欽ドン!良い子悪い子普通の子おまけの子」に「悪い下宿人」として出演している。

テレビ出演もしていたため、周囲の誰もがそのままプロになると思っていたが、日大卒業後は大手書店(福家書店)に入社した。喬太郎は自身を振り返り、「落語で食べていこうとは思わなかった。こわかったんです。好きだっただけに、畏怖の念があった。それに僕は、普通の人生が送りたかったんです」と述べている。書店員としての生活は、もともと本が好きだっただけに充実していたものの、落語への情熱は冷めやらず、ついに落語家になることを決意して約1年半で退職した。

1989年(平成元年)10月、人情噺の名人として知られる柳家さん喬に入門する[注釈 6]。三遊亭円丈から強い影響を受けながらも、正統派の落語を学ぶためにさん喬を師匠に選んだといわれている。初高座は1989年12月29日、新宿末広亭にて「道灌」を演じた。

喬太郎は、「夜の慣用句」や「ほんとのこというと」「午後の保健室」などをはじめとする数々の新作落語で知られるが、師匠譲りの古典落語も巧みに演じる。現在では人気落語家の一人に数えられる存在であるが、売れるまでには様々な仕事を経験しており、キャバレー勤めやアダルトアニメの声優もしたことがあるという。

1998年(平成10年)、NHK新人演芸大賞の落語部門で新作落語「午後の保健室」を演じ大賞を受賞し、一躍名を知られることとなった。2000年(平成12年)3月に林家たい平とともに12人抜きで真打に昇進した。同年5月には日本テレビ系「笑点」に出演している。

2003年(平成15年)、春風亭昇太らとともに「SWA(創作話芸アソシエーション)」を旗揚げした。SWAでの背番号は「6」。2009年(平成21年)発行の『今おもしろい落語家ベスト50』(文春MOOK)では第1位に選出された。2013年(平成25年)6月5日、東京お台場のライブハウス"Zepp DiverCity"で開催された初の落語会に桃月庵白酒、柳家三三とともに出演、「そば清Q」を演じた[注釈 7]。

落語に関する著作もあり、そこでは自らの落語観も語っている。

柳家さん喬にとっては一番弟子にあたる。喬太郎の弟弟子は6代目柳亭左龍、柳家喬之助、柳家喬志郎はじめ10人におよぶが、喬太郎は師のさん喬から弟弟子の稽古をつけろと言われたことがないという。

喬太郎自身は弟子をとっていない。(※2014年12月に初弟子を取ったとの情報あり)

師匠のさん喬とはしばしば二人会を開いている。さん喬に弟子入りした当初、師匠に「嫌いなものはあるかい?」と聞かれた喬太郎が「納豆がダメです」と答えたところ、翌日「よし、昼メシに買いに行こう」と言われたという。さん喬いわく「これから噺家としてやっていくなら、お客様や先輩方とのお付き合いもある。そんなときに、あれ食えない、これ食えないじゃ、話にならないよ」。また同じ頃、さん喬は喬太郎に「ゼロからじゃない。マイナスから(のスタート)だよ、お前は」と言ったという。大相撲では、学生時代の実績があると、幕下付出というプラス位置からスタートするが、落語では事情が異なり、なまじ大学の落語研究会でやっていたことは「垢のようなもの」であって真摯に落語修行していくうえでは「落とさなければならない」ものであった。

喬太郎がさん喬を尊敬していることは並大抵ではなく、50歳を迎えた喬太郎は、自分が入門した頃のさん喬の年齢を超えていることを踏まえ、「それを考えると『ダメだなオレ、まだこんなんじゃ』という結論にしかならない」と述べている。

2013年現在、雑誌『週刊文春』の川柳投稿コーナー「川柳のらりくらり」の選者を務めている。関東学院大学の非常勤講師でもある。

活動内容は、本業の落語家のほか、TOKYO FMの番組(「柳家喬太郎のピロウトーク」)のパーソナリティやテレビ東京のアニメーション「それいけ! ズッコケ三人組」のナレーション、俳優・声優、「柳家喬太郎のようこそ芸賓館」の司会など多様である[注釈 8]。「東京ホテトル音頭」を作詞・作曲し、自ら歌っている。

体格は身長175センチメートル、体重85キログラム(2013年現在)。血液型はB型。

イヌとネコではイヌが好き。中学時代の部活動はバレーボールを1週間でやめたのち美術部に入り、高校時代は映画研究部に所属した。趣味は落書き。好きな色は黄緑色・黄色。池袋をこよなく愛している。

2016年公開の映画『スプリング、ハズ、カム』で映画初主演。

実力と幅広さを兼ね備えた個性的な噺家である。

古典落語は、エンターテイメント性に富む語り口ながら、古典の味わいをそこなうことなく、円熟した落語を聴かせる。滑稽噺はもとより、師のさん喬ゆずりの人情噺、さらには「死神」「蛇含草」などといったダークな噺でも、迫真の語り口で聴衆を圧倒する。「擬宝珠」や「綿医者」「にゅう」といった、演者の絶えた珍しい古典演目の蘇演も手がけており、また、後半の内容が陰惨なため前半で切り上げられることの多い「宮戸川」を通しで演ずる数少ない噺家でもある。

「ハワイの雪」「純情日記横浜篇」といった新作落語にあっては、現代的な題材と巧みな構成が際立ち、そこでは文学的な繊細な描写が展開される。その一方で「諜報員メアリー」や「寿司屋水滸伝」などナンセンスなギャグが満載の作品、エキセントリックなまでに先鋭的な作品もあり、創作力・演出力ともに非凡である。

また、自作の歌をCD化したり、江戸川乱歩の作品を演じるなど、落語を様々なかたちで見せるオールラウンドプレイヤーであることも喬太郎の持ち味のひとつとなっている。

「マクラ」(落語で本題に入る前の部分)のおもしろい落語家としても有名であり、柳家小三治や立川志の輔などと同様、マクラ自体がひとつの芸の域に達していると評される。ことに「時そば」は、そのマクラの内容から「コロッケそば」の異名をとるほど有名である。

落語については、しょせん芸能の一分野にすぎないという見解に立ち、自分の価値観の中でその時聴いて面白ければそれでよいとしている。一般論としては落語論・落語評論といったものを語ることに否定的で、論じるよりも稽古することが大切だというスタンスをとり、また、聴衆には「落語に関する知識は必要ない」とし、さらには「知識がなくて楽しめないのであれば、それはもともと面白くない落語である」と語っており、難しく考えず気楽に落語を愉しむことを提唱している。

テレビドラマでは「ちゅらさん4」・「坂の上の雲」、映画では「落語娘」・「落語物語」などに俳優として出演している。

舞台俳優としては、PARCO劇場プロデュースの「斎藤幸子」・「ぼっちゃま」に出演しているが、「斎藤幸子」(2009年)の脚本を手がけた村上大樹は喬太郎の演技を「独特すぎる存在感と、どこまで本気か分からないうさんくさい演技トーン。詐欺師の役がピッタリはまる」と評している。「ぼっちゃま」(2011年)では、稲垣吾郎扮する「ぼっちゃま」(井上幸一郎)の「恋人」榊原の役で出演し、派手に動き回る落語的な一人芝居で奮闘し、場内をおおいに沸かせた。

その他「笑いがいちばん」「ふるさと愉快亭・小朝が参りました」(NHK総合)、「落語研究会」(TBS)、「BS落語研究会」(BS1i)、「BS笑点」(BS日本テレビ)、「らくごくら」(スカイ・A)にも出演している。

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