松谷竜二郎の出身高校
松谷竜二郎 プロ野球選手
- 松谷竜二郎卒業高校
- 大阪市立高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 998位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1964年7月10日生まれ
松谷 竜二郎(まつたに りゅうじろう、1964年7月10日 - )は、日本の実業家、元プロ野球選手(投手)。スチールエンジの代表取締役社長。NPBでは読売ジャイアンツ、近鉄バファローズに所属した。
大阪ガスでは2年目の1985年にスライダーを習得し、抑えを任されていた。1988年のドラフト会議で読売ジャイアンツから2位で指名され入団。契約金と年俸はそれぞれ5,500万円、600万円(いずれも推定)だった。
1年目の1989年は一軍のキャンプに参加し、オープン戦でも投球内容を評価されている。4月15日には一軍初登板を果たしたが、その後二軍に降格。しかし6月7日にはイースタン・リーグの大洋戦でノーヒットノーランを記録し、6月12日には一軍に再昇格している。1991年5月22日のヤクルト戦ではローテーションの谷間で初の先発を任され、1失点完投勝利をマークした。続く6月6日の試合では自ら適時二塁打を放ち2失点完投勝利。2連勝で飛躍が期待されたが、その後は打ち込まれ、先発に定着できなかった。
1992年5月31日にはイースタン・リーグの大洋戦でリーグ史上初となる二度目のノーヒットノーランを記録している。1993年は春先に右肩を痛めて回復に夏までかかったが、同年10月10日の中日とのジュニア日本選手権では8奪三振の完封勝利でMVPに選出された。
1995年3月に近鉄に移籍し、1997年に右肩を故障。同年をもって戦力外通告を受け、2週間の入院後に巨人の2軍監督だった末次利光の紹介で台湾プロ野球の入団テストを受けたが不合格となり、翌年2月に引退を決めた。
引退後は巨人入団時の監督である藤田元司の斡旋で建設会社に入社したが経営が不振に陥り、同業他社に転職した。床版の専門工事部門がスチールエンジとして独立した際に転籍して3年間営業を務め、その後代表取締役に就任している。
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