松浪健太の出身高校
松浪健太 議員
- 松浪健太卒業高校
- 清風高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
- 議員ランキング
- 228位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1971年8月17日生まれ
松浪 健太(まつなみ けんた、1971年8月17日 - )は、日本の政治家。おおさか維新の会所属の衆議院議員(5期)。
元大阪府議会議員の松浪啓一は伯父。元衆議院議員の松浪健四郎は叔父。啓一の長男で、従兄にあたる松浪武久は元泉佐野市議会議員。
大阪府出身。1990年に清風高等学校を卒業し、早稲田大学商学部へ進学。在学中1年間休学し、1997年に早大商学部を卒業。大学卒業後は産経新聞社に入社し、横浜総局や青森支局を経て、2000年より東京本社整理部、2002年より東京本社社会部に配属。
同年10月、産経新聞社を退職し、辻元清美衆議院議員(社会民主党、のちに離党)の辞職(辻元清美秘書給与流用事件)に伴う大阪10区補欠選挙に自由民主党公認(公明党・保守党推薦)で出馬。松浪を含め8人が立候補した混戦を制し、初当選。党内派閥では江藤・亀井派に所属。2003年の第43回衆議院議員総選挙では、大阪10区で民主党前職の肥田美代子に敗れ、比例復活もならず落選。なお、肥田は第42回衆議院議員総選挙では大阪10区で辻元に敗れ、比例近畿ブロックで復活しており、前年の補欠選挙には出馬しなかった。
2005年、第44回衆議院議員総選挙に大阪10区から自民党公認で出馬。社民党公認の辻元清美、民主党公認の肥田美代子を破り、国政に復帰した(辻元は比例復活)。2007年、第1次安倍改造内閣で厚生労働大臣政務官に任命され、福田康夫内閣まで務める。福田康夫改造内閣では内閣府大臣政務官に任命され麻生内閣でも再任されるが、2009年1月、衆議院本会議における第2次補正予算案の採決で、定額給付金への反対を理由に投票を棄権したため、内閣府大臣政務官を罷免された。同年8月の第45回衆議院議員総選挙では大阪10区で辻元に敗れたが、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活し、3選。2010年4月、自由民主党中央政治大学院副学院長に就任(総長は谷垣禎一自由民主党総裁(当時)、学院長は古屋圭司)。同年5月、所属していた伊吹派を退会。
2012年9月、日本維新の会の結党に参加するため、自民党に離党届を提出。これに対し、自民党大阪府連は10月27日の府連大会で「自民党に投票した有権者の思いを踏みにじる行為」だとして、松浪の議員辞職を求める宣言を採択した。自民党は、日本維新の会に合流するために離党届を提出した松浪、谷畑孝の両衆議院議員について、離党届を受理せず除名処分を下した。日本維新の会結党に伴い、国会議員団幹事長に就任(太陽の党の合流に伴い退任、後任は松野頼久)。同年12月の第46回衆議院議員総選挙では、日本維新の会公認、みんなの党推薦で大阪10区から出馬。民主党前職の辻元清美を約6,000票差で破り、4選。
2013年10月15日、衆議院決算行政監視委員長に就任。
2014年6月に日本維新の会から石原共同代表に賛同するグループが新党設立を準備して党職から抜けた際(同グループは8月に次世代の党を設立)には藤井孝男に代わり党国会議員団総務会長兼選挙対策委員長に就任。同年9月に維新の党が発足すると、国会議員団国会対策委員長に就任。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙では、維新の党公認で大阪10区から出馬。前回下した辻元に敗れたが、比例復活で5選。その後の役員人事で党幹事長代行に就任。
2011年6月13日、松浪が支部長を務める自民党大阪府第10選挙区支部が、暴力団との関係を理由に大阪府の公共工事の入札から2010年7月以降は排除されていた大阪府高槻市の建設会社から、2005年~2010年までの5年間に合計約60万円の政治献金を受けていた事実が報道されている。
自民党在籍中、「夜回り先生」水谷修と並んだツーショットのポスターを選挙区内に掲示していた。自民党を離党し、日本維新の会に鞍替えした後も同ポスターを記者会見の背景等に使用し続けたため、水谷は自身のブログで「今の彼には、子どもたちへの想いは消えたようです。……私は、今の彼を応援していませんし、期待もしていません」「(維新の会は)子どもたちへの想いをひとつも語ることのない組織です」として、写真の無断使用を「哀しいです。卑怯です」と批判した。
松浪健太の関連人物
議員偏差値ランキング
職業から有名人の出身卒業高校を探す
議員偏差値ランキング