松原良香の出身高校
松原良香 サッカー選手
- 松原良香卒業高校
- 東海大学付属翔洋高校 偏差値 静岡県高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 915位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 女性
松原 良香(まつばら よしか、男性、1974年8月19日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手、サッカー指導者、実業家。Jリーグ選手OB会副会長。元サッカー選手の松原真也は兄、サッカー選手の松原后は甥(真也の息子)。
静岡県浜松市出身。サッカー王国・静岡で、3歳年上の兄・プロサッカー選手としてもプレーした真也にあこがれ小学校3年生よりサッカーを始める。
真也が県大会に出場する強いチームのキャプテンであったこともあり、兄のサッカーを観戦する環境からサッカー人生がスタートする。真也は高校2年生の時にアルゼンチンに渡り、プロ契約を果たした。その影響を受け、自らもアルゼンチン行きを周囲に相談するが反対され断念。
高校卒業後、大学進学が決まっていたがサッカーへの思いが強く、入学を目前に辞退し自身の進路を考え直す。当時はJリーグ発足前だった為、U-17の日本代表としてプレーするも、プロになりたいという考えもなかった、と語っているが、その気持ちを変えたのが三浦知良だった。
三浦がブラジルから凱旋した際の試合を見て、大きな衝撃を受け、絶対にプロになる、と決意する。清水エスパルスやヤマハフットボールクラブ(現:ジュビロ磐田)に足を運ぶが、加入チャンスがなかった。
その頃、"世界と戦えるチーム"としてアトランタオリンピックに向けたチームの発動を知り、当時日本サッカー協会にいた山本昌邦に海外に挑戦することを勧められる。これをきっかけに海外でプロになることを決意。
ウルグアイのペニャロールを経て、1994年にJリーグ、ジュビロ磐田に入団。その後清水エスパルス - ジェフ市原- HNKリエカ(クロアチア) - ドレモン(スイス) - 湘南ベルマーレ - プログレッソ(ウルグアイ) - アビスパ福岡 - デフェンソール(ウルグアイ) - 沖縄かりゆしFC - 静岡FCと国内外を問わず12チームでプレー。
また各年代の日本代表としてプレーし、1996年アトランタオリンピックではリバウド、ロベルト・カルロス、ベベットなどを擁するブラジル代表を"マイアミの奇跡"の一員として破る。
2005年に現役を引退し、現在は自らが主宰するFELICE MONDO(株)の代表として活動する傍ら、暁星国際学園アストラインターナショナルコースゼネラルマネージャー、Jリーグ選手OB会の副会長を務めるなど、幅広く活動中。
2015年11月、SC相模原の監督に就任した。
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