松下賢次の出身高校
松下賢次 アナウンサー
- 松下賢次卒業高校
- 慶應義塾志木高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
- アナウンサーランキング
- 157位 / 1802人中 アナウンサー別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1953年3月2日生まれ
- 血液型
- O型
松下 賢次(まつした けんじ、1953年3月2日 - )は、日本のアナウンサー、実業家である。東京都港区青山生まれ。血液型はO型。身長は170cm。
1975年から2008年までTBS(東京放送→TBSテレビ)でアナウンサーとして活動。後年より、アナウンスセンター部長や編成制作本部編成局アナウンス部スペシャリスト局次長、TBSアナウンススクール校長(初代)、2008年頃までは関連会社であるクリエイティブ・メディア・エージェンシー(CMA)の取締役も兼務。2008年5月からは東京放送(2009年4月より、東京放送ホールディングス)経営メディア本部経営企画局局次長。2013年4月より、フリーアナウンサー。
自称および通称「世界の松下」(せかいのまつした)。TBS社内報では「世界のマツシタ」と表記されたことがある。「世界の松下」については、ただのシャレであり新聞の見出しの様なものであることを明かしている。
TBS時代には、大正大学客員教授も務めていた。
慶應義塾志木高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業。
1975年4月にTBS(東京放送)へアナウンサー15期生として入社(2004年10月、当時の企業再編に伴い、ほかの全アナウンサーとともにTBSテレビへ現職出向)。
同期の宮澤隆(15期生はこの2人のみ)とともにスポーツ実況(担当競技は、野球・ラグビー・サッカー・テニス・陸上競技・水泳)を中心に活躍。その傍ら、1986年10月2日から音楽番組『ザ・ベストテン』の司会を黒柳徹子とともに務めた。1989年1月5日に同番組の司会を卒業し、渡辺正行らに引き継いだ。松下は同番組の司会を2年3ヶ月間務めたが、これは久米宏に次いで2番目の長さである。
1990年のTBS開局記念特番「日本人初!宇宙へ」では、TBSのスタジオからの進行を木場弘子(当時・TBSアナウンサー)とともに担当。
1994年から2003年まで『ニューイヤー駅伝』の実況を務めた。人事異動となる2008年5月までは『マスターズ・トーナメント』などの実況(地上波放送のみ)を担当していた。スポーツ以外では、ドミノ倒しの実況も行っていた。
2008年4月16日放送の『明石家さんちゃんねるスペシャル』で、糖尿病を患っていることを明らかにした。
2008年5月14日付のTBS定期人事異動発令で松下は「編成制作本部編成局アナウンス部スペシャリスト局次長」の任を解かれ、「経営メディア本部経営企画局局次長」へ異動することが明らかになった。これにより、松下は33年間のアナウンサー生活に終止符を打った。テレビでは、2008年5月15日にBS-iとTBSニュースバードで放送された横浜ベイスターズ対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)の実況がアナウンサーとして最後の担当だった。
同年7月5日TBSラジオで放送の『安住紳一郎の日曜天国』へ、安住紳一郎の強い希望によりゲスト出演した。放送の中で、松下は先述のような異動となったいきさつを話し、5月8日のTBSラジオ『エキサイトベースボール』(読売ジャイアンツ対阪神タイガース戦中継)から数日後に人事担当者から辞令を言い渡されたという。そして、ラジオ最後となった同中継の実況音源が流れた後、後輩アナウンサーの小林麻耶・小倉弘子・土井敏之・初田啓介の順で松下に対するメッセージが流れ、最後に松下は「今後ともTBSのテレビ・ラジオをよろしくお願いします」という趣旨の挨拶をして出演を終えた。
同年には、人財育成の為の学校「TBSビジネスカレッジ」を設立。
2009年3月22日の『サンデージャポン』にワールド・ベースボール・クラシック絡みのゲストコメンテーターとして出演(肩書きは「世界のマツシタ」)。アナウンスの現場から離れてからは初めてテレビに顔を出す形となった。
2009年3月29日午後11時55分から30日午前0時10分に放送された『JNN50周年改編記念テレビ維新』内で行われた企画『TBS大改編記念ドミノ』において、実況として「TBSアナウンサー」の肩書きで出演した。
2011年3月21日 - 4月7日にはTBSチャンネルで放送の『マスターズ・オフィシャル・フィルム』へナビゲーターとして出演。番宣では顔出し出演となった。
同年には、TBSメディア総合研究所へ上席研究員として現職出向、同社の取締役も務める。また、東京プロ野球記者OBクラブへ入会。
2013年3月に還暦を迎えるとともに、同月末をもって株式会社東京放送ホールディングスを定年退職。
2013年4月よりフリーアナウンサーへ転身。UPOFFICE(ユーピーオフィス)という個人事務所に所属し、株式会社ノット・コミュニケーションズとマネジメント上の業務提携を結ぶ。6月より東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)のプロ野球福岡ソフトバンクホークス主催公式戦中継で実況を担当(初戦は、同12日の対東京ヤクルトスワローズ戦)。7月より古巣TBSグループのCSテレビ放送であるTBSニュースバードの横浜DeNAベイスターズ主催公式戦中継で実況を担当(初戦は、同2日の対ヤクルト戦)。
高校生時代は部活で落語をやっており、当時の高座名は『成田屋海老蔵』。
夫人は、『ザ・ベストテン』司会当時、黒柳がユニセフ活動のため出演休止した際の代行として、JNN系列各局から参加した女性アナウンサーの一人で、テレビ高知(高知県)の人気アナウンサーだった谷沿圭子。
※特記ない限り、TBSアナウンサー時代のもの。
スポーツ中継
スポーツ中継以外
スポーツ中継
スポーツ中継以外
TBSアナウンサー当時、スポーツゲームソフトの実況担当として声の出演をしたことがある。
ハドソン(パワーリーグシリーズ)
セガ(グレイテストナインシリーズ)
T&E SOFT(遙かなるオーガスタシリーズ)
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