東浜巨の出身高校
東浜巨 プロ野球選手
- 東浜巨卒業高校
- 沖縄尚学高校 偏差値 沖縄県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 1123位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1990年6月20日生まれ
東浜 巨(ひがしはま なお、1990年6月20日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属する日本のプロ野球選手(投手)。
名前の由来は、「心も体も大きく育つように」との願いを込められつけられた。与那城小学校2年から「与那城ストロング」で野球を始める。与勝中学校では軟式野球部に所属し、3年夏は県大会優勝、九州大会3位とエースとしてチームを牽引した。
沖縄尚学高校では1年の春からベンチ入りし、3年春のセンバツでは5試合で41回を投げて防御率0.66と安定したピッチングで、同校を9年ぶりの優勝に導いた。3年夏は県大会の決勝で浦添商業高校に敗れ準優勝。プロからも注目されたが、進学を希望しプロ志望届は提出しなかった。
亜細亜大学進学後は硬式野球部に所属し、1年春から東都大学野球リーグ戦に出場。初登板から3試合連続で完封勝利をあげ、新人賞を受賞。以降、最高殊勲選手2回、敢闘賞1回、ベストナイン投手部門4回と東都大学リーグを代表するエースとなり、3年秋には松沼雅之(東洋大)の持つ通算15完封の記録を超えるリーグ新記録の通算16完封を達成した。4年次には亜大で初めて投手として主将に就任した。日米大学野球選手権大会は第37回(1年夏)と第38回(3年夏)に出場。通算成績は4試合で9回を投げ、防御率1.00。また、第25回アジア野球選手権大会日本代表(1年夏)とU-26 NPB選抜 対 大学日本代表(1年秋)の大学日本代表にも選出された。東都リーグ通算完封は最終的に22を記録した。
2012年のドラフト会議で福岡ソフトバンクホークスと埼玉西武ライオンズ、横浜DeNAベイスターズの3球団から1位指名を受け、抽選の結果、ソフトバンクが交渉権を獲得した。そして11月30日、契約金1億円プラス出来高払い5000万円、年俸1500万円で契約に合意、背番号も「16」に決定した。
4月11日の対オリックス戦(ヤフオクドーム)でプロ入り初登板、初先発したが初回に先頭坂口智隆をショートゴロに打ち取ったかと思いきや、明石健志の悪送球により出塁、川端崇義に二塁打、糸井嘉男にストレートの四球を与え満塁とすると李大浩にライトへ先制の犠牲フライを打たれ、後藤光尊に四球を与えて再び満塁、二死としたところでアーロム・バルディリスに満塁本塁打を打たれ初回5失点、3回1/3を投げて6失点(自責点は1)で降板。試合自体は松田宣浩のサヨナラホームランでソフトバンクが勝ち、黒星は付かなかった。2度目の登板となった4月18日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(Kスタ宮城)でも5回6失点で降板。敗戦投手となり、翌日二軍落ちした。その後は二軍で投げ、同年のフレッシュオールスターゲームのウエスタン・リーグ代表に選出。フレッシュオールスターゲームでは、先発投手を務め2回1安打無失点で、優秀選手となった。4月18日以来の登板となる9月23日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で、先発して6回を3安打3失点の内容でプロ入り初勝利。9月29日の対楽天戦では5回1/3を投げ無失点と好投し、本拠地福岡 ヤフオク!ドーム初勝利となる2勝目を挙げた。10月5日シーズン最終戦となる対北海道日本ハムファイターズ戦では10奪三振でプロ入り初完投初完封、先発3連勝となった。 オフにはプエルトリコのウィンターリーグのヒガンテス・デ・カロリーナに参加し、11月3日から12月15日までの8試合に先発登板し、4勝1敗、防御率3.15の成績を残した。
4月3日、開幕6枚目の先発に抜擢され対日本ハム戦に登板し、初回に2点の援護をもらったが、3回に連続四球で満塁とし北篤にタイムリー、大引啓次に押し出し四球で同点に追いつかれ、4回に1点勝ち越したが、5回中田翔に左中間へ逆転のツーランホームランを浴びノックアウト、翌日4日に出場選手登録を抹消された。6月29日に昇格し、同日の対埼玉西武ライオンズ戦、7月6日の対楽天戦と連勝した。その後2連敗し、7月31日に再び抹消。9月19日に再昇格。9月24日には3回6失点でノックアウトされた先発攝津正の後を受け、9回まで投げ6イニング1失点に抑え、これが救援での公式戦自身最長イニングとなった。シーズンの大半は二軍で暮らし先発17試合で7勝、救援で2勝の計9勝をあげ、リーグ最多の3完投、防御率2.11(リーグ2位)とウエスタン・リーグ優勝に貢献した。10月4日のファーム日本選手権で先発、千葉ロッテ二軍を5回2失点に抑え、1点リードで降板したが、後続の岩嵜翔、巽真悟が失点しファーム日本一とはならなかった。 CSファイナルステージでは10月17日に2回6失点とノックアウトされた先発攝津の後を受け、中田翔のスリーランホームランなどで5失点したものの7回から9回までを三者凡退に抑え、7イニングを投げきった。日本シリーズでは10月29日、先発の中田賢一が3回に3者連続四球の後2失点して同点に追いつかれて降板した後を受け、4回から3イニングを無失点としてホールドを記録し、王手となる3勝目に貢献した。また、日本シリーズで3イニング以上を投げてのホールドは2010年のロッテ・内竜也以来史上2人目となった。 オフの11月10日には日米野球壮行試合として行われた対野球日本代表戦でソフトバンク・日本ハム連合軍の先発として2回を1安打無失点に抑えた。11月26日のNPB_AWARDSで飯田優也らとともにウエスタン・リーグ最多勝利投手(9勝)として表彰された。
オーバースローから最速152km/h(プロ入り後の最速は149km/h)のストレートとスプリットのように変化の大きいツーシーム、球速の違う数種類のスライダー、カットボール、カーブの組み立てで打たせて取るピッチングを主体とする。その一方で、大きな変化をする変化球が少なく、打者にタイミングを取られやすいという欠点が指摘されている。
打者のタイミングを外す投球術に長け、試合中の修正能力も高い。
大学時代にはリーグ通算最多奪三振記録を更新したが、奪三振へのこだわりはなく奪三振率も高くない。また、同じく完封のリーグ記録も樹立したが、試合の中では完封を意識しておらず、「どんな形でも“勝てる投手”になること」を目指しているという。また、「究極のピッチングは10安打完封」などと述べている。
元プロ野球選手の大野倫とは母方の祖母同士が姉妹にあたり親類である。
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