會澤翼の出身高校
會澤翼 プロ野球選手
- 會澤翼卒業高校
- 水戸短期大学附属高校 偏差値 茨城県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 2760位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1988年4月13日生まれ
會澤 翼(あいざわ つばさ、1988年4月13日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(捕手)。
報道などで、苗字を「会沢」と表記する場合もある。
茨城県日立市出身。小学校3年生の時に助川野球スポーツ少年団で野球を始め、捕手ひと筋。捕手を始めたきっかけは「誰もやろうとしなかったから」。本格的に捕手としての楽しさや奥深さを覚えたのは高校の頃だという。中里中学校では野球部員15人という少人数で活動。高校進学後、1年夏からベンチ入りし、秋には早くも正捕手となる。打線では先輩の春田剛と中軸を担った。高校3年春には、ハンカチ王子こと早実・斎藤佑樹投手と練習試合で対戦し、二塁打を含む2安打を放ったこともあった。高校通算35本塁打。
3年間で甲子園出場は無くメディアへの露出も少なかったが、複数の球団が一年から目を付けており、2006年9月25日の高校生ドラフト会議で、広島東洋カープに3巡指名される。指名直後の会見では短ランとボンタンという格好で集まった関係者を驚かせた。指名挨拶の際、苑田スカウト部長から、ブラウン監督がドラフト会議で首から下げていた入場パスをサイン入りでプレゼントされた。10月16日に契約金4000万、年俸500万円(金額は推定)で仮契約を結ぶ。12月20日に広島で行われた入団会見には顎ひげを生やして会見に臨んだ。
春季キャンプ序盤に故障したことで出遅れ、5月2日のウエスタン・リーグ、対サーパス5回戦(北神戸)に代打でプロ初打席を迎えるも頭に死球を受けて救急車で病院に運ばれる事態となった。相手投手の近藤一樹は完全試合目前の9回2死2ストライクで會澤が最後の27人目の打者だった(近藤は危険球退場)。その後は、捕手というポジション上、二軍でも主に代打で出場機会自体はそれほど多くはなかったが、34試合に出場。捕手としては16試合で守備に就き、先発マスクも経験。打撃面では本塁打を放ち、長打率が4割を超えるなど非凡な打撃を見せた。
春季キャンプ終盤に一軍帯同を予定されていたが、左肩を脱臼。もともと脱臼癖があった箇所ということもあり、3月に手術をしてシーズン期間をリハビリに費やした。秋のフェニックス・リーグ直前に実戦に復帰した。
春季キャンプ中盤に初めて一軍の練習に参加する。開幕二軍スタートとなったが、正捕手格と中軸に抜擢されると好成績を残し、5月25日に初めて一軍に昇格した。5月27日のロッテ戦で代打で一軍初出場。7月15日に再び一軍に昇格すると同日MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島で行われた対横浜戦でプロ入り初スタメンを果たした。フレッシュオールスターにも選出されるとウエスタン選抜の5番を任された。シーズン終盤にも一軍に昇格。チーム最年少捕手でありながら石原慶幸、倉義和に次ぐ15試合に出場。うち9試合で捕手の守備に付いた。二軍では53試合に出場し、打率.337、5本塁打、30打点、長打率.580、出塁率.409、守備率.996の好成績を残し、ウエスタン・リーグ優秀選手賞に選ばれた。
開幕一軍はならなかったが、5月15日の日本ハム戦でダルビッシュ有と投げ合った同い年の前田健太をリードし勝利に導いた。6月下旬から二軍生活となったが、8月下旬に再昇格すると9月5日に久保田智之からプロ初本塁打を放った。二軍ではチームトップの8本塁打を記録した。また、10月に台湾で開催された第17回IBAFインターコンチネンタルカップの日本代表に選ばれた。
長打力を生かすため、捕手登録のまま外野の守備練習に取り組んでいる。しかし、8月2日のDeNA戦(横浜スタジアム)9回表に代打で出場したが、山口俊から直球を左目の下部に受けて昏倒した。會澤は一時意識を失ったため、同スタジアムの打席付近から救急車で横浜市内の病院へ搬送された。病院で診察の結果、鼻骨の骨折が判明。ヘルメットのツバが割れるほどの投球だったため、山口は東利夫球審から危険球を宣告されるとともに退場処分を受けた。會澤は意識は回復したものの、翌3日に出場選手登録を抹消された。
一軍出場は31試合に留まったものの、交流戦後半からの1ヶ月の間に3本塁打を放った。
開幕一軍入り後すぐ抹消されたが、5月に一軍に再昇格。石原の故障や捕手陣の打撃低迷もあって徐々に先発出場を増やし、3割を越える打率を維持して7月半ば以降、完全に正捕手に定着した。8月31日の中日戦(ナゴヤドーム)で肉離れを起こし離脱するが、復帰した9月29日のヤクルト戦では代打で10号3ランを記録。球団史上4人目となる2桁本塁打を記録した捕手となった。自己最多の65試合出場で打率.307、OPSも.892に達する飛躍のシーズンとなった。
開幕前の2月16日に、「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された事が発表され、トップチームに初めて招集された。
7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された。9月10日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表候補選手に選出された事が発表された[7]。
愛称は「アツ」。同球団に相澤寿聡、中谷翼がいた事から、名字と名前の一文字ずつをくっつけた呼び方でチームメイトに呼ばれる。高校時代は試合で先輩にも臆することなく苦言を呈した強気な性格である。一方で礼儀正しく真面目な人物でもあるという。
遠投110mで、二塁への送球は1.8秒台。小学校6年生の時のソフトボール投げで市内1位の記録を残したり、中学では市内の大会で盗塁を許したことはなく、走ってくればすべて刺したなど地肩の強さが伺えるエピソードがある[8]。
背筋力が275kgあるパワーヒッターでもあり、高校2年時には地元の水戸市民球場で推定飛距離130mの場外弾を放ったことがあった。また、右方向にも長打が打てるのも持ち味で會澤も強い拘りを持っている。
2011年12月1日、高校時代から交際していた女性と結婚した[9]。
ゴールデンボンバー 『女々しくて』 (2012年 - )
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