手沢庄司の出身高校
手沢庄司 プロ野球選手
- 手沢庄司卒業高校
- 甲府第一高校 偏差値 山梨県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 616位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1932年4月2日生まれ
手沢庄司(てざわ しょうじ。1932年4月2日 -)は、昭和中期から平成期(1950年代-1980年代)のプロ野球選手、プロ野球審判員。山梨県甲府市出身。1951年に甲府第一高校卒業後(中学時代はサッカーの選手。高校2年から野球をはじめ、小柄ながらいきなり四番を任された)、内野手として松竹ロビンスに入団。1953年チームが横浜ベイスターズ 大洋ホエールズと合併して大洋松竹ロビンスとなっても移籍せず所属していたが1954年に親会社の松竹が共同経営から撤退し大洋ホエールズに戻ると同時に引退。選手としては3試合に出場し、1打数0安打。引退後は松竹演舞場に勤務していたが野球への情熱が忘れられず1962年、セントラル・リーグ審判部に入局した。セ・リーグ袖番号は21(1988年初採用から1989年引退まで、2003年からは山本貴則がつけている。)。
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