扇ひろこの出身高校
扇ひろこ 演歌歌手
- 扇ひろこ卒業高校
- 相愛高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
- 演歌歌手ランキング
- 24位 / 70人中 演歌歌手別偏差値ランキング
- 性別
- 女性
扇 ひろこ(おうぎ・ひろこ、本名:田辺 博美、1945年2月14日 - )は、日本の演歌歌手である。扇ひろ子として知られている。既婚。
広島県広島市段原中町(現:南区段原)生まれ。生後6ヶ月を目前にした1945年8月6日、爆心地から約2キロの自宅で被爆、父を亡くした。母とも生き別れ四国愛媛県の祖父母宅で9歳まで育ち、その後、再会した母とともに大阪に出て9歳から大阪市西区で育った。
幼い頃から歌好きの母に連れられ歌謡学院などで歌う。
相愛高等学校卒業後の1963年、日本コロムビアと契約。1964年8月6日の広島平和記念式典で石本美由紀作詞の「原爆の子の像」をデビュー曲として歌った。千羽鶴を折りながら原爆症で亡くなった佐々木禎子をしのぶこの歌は原爆遺児の一人として歌いたかったという。しかし、版権を広島市に寄贈したため、公式デビュー曲は同年発売の「赤い椿の三度笠」となる。同年、同じ日本コロムビアから、小林幸子、都はるみがデビュー、このため会社としての扇の推しは全くなかったという。
1966年に「哀愁海峡」、1967年に「新宿ブルース」が大ヒットして第一線に出た。同曲は「新宿以外の地方の人は買わないだろう、それに暗い歌」と周りから反対されたが、哀愁を帯びた歌は大ヒットし、ご当地ソングの先駆けとなったといわれる。
NHK紅白歌合戦に2回出場という実績を持つ(詳細は下記参照)。
また、女優としても活躍し、任侠映画の女侠客役で、1969年の日活『昇り竜鉄火肌』(石井輝男監督)の主演を始め、映画にも多数出演。任侠映画では、東映の藤純子(現:富司純子)、大映の江波杏子と共に「日活の扇ひろ子」として人気を博す。他、1971年の東宝『闇の中の魑魅魍魎』(中平康監督)や1972年の東映女囚さそりシリーズ第1作『女囚701号/さそり』(主演:梶芽衣子)の準主役の女囚役などが有名。
1972年に「鹿島密夫とダイナ・ショウ」の18歳年上の鹿島密夫と結婚。鹿島の姉が経営するアラモアナの和風レストラン「浅草」を応援するためハワイへ。店勤めが2、3年続いたが、経営が芳しくなく解雇され帰国。五反田の自宅マンションを抵当に入れ、旧月世界通りにレストランを出すが2年で閉店。鹿島が外に女性をつくり、店の後始末には知らん顔したことに、堪忍袋の緒が切れて、1976年に離婚。借金は6000万円を超えていて、マンションも差し押さえ。当時所属の第一プロが高利貸しに借りていた借金を肩代わりし、残りの借金は扇が働いて返済することになった。やがてマネージャーとして第一プロから送られたのが後に夫となる10歳年下の男性で、1986年に男性が円満退社し、同年4月に明治神宮で挙式。独立事務所「オフィス扇ひろ子」を夫と設立。
1980年、『タモリのオールナイトニッポン』で、扇の曲「新宿ゴールデン街」(1975年発売)のレコードを、通常の45回転から33回転に変えたらオカマのような声になると話題となり、同年にレコードが再発売された(レコード品番はオリジナル盤がSV-1248、再発盤がSV-7003)。
現在も全国各地のホール、温泉場などで公演を続けている。近年は自身も被爆者手帳を持ち被爆体験も持つことから、前述の「原爆の子の像」や、美空ひばりが第一回の広島平和音楽祭で歌ったことで知られる「一本の鉛筆」などの反戦歌なども歌っている。
2012年7月7日、広島市文化交流会館で開催されたNHK広島放送局主催の「いのちのうた2012 ヒロシマから明日へのメッセージ」に石井竜也らと共に出演。
2013年5月16日放映の「木曜8時のコンサート〜名曲!にっぽんの歌〜」(テレビ東京)に出演。
他、数々の歌番組に出演。
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