戸田善紀の出身高校
戸田善紀 プロ野球選手
- 戸田善紀卒業高校
- PL学園高校 偏差値 大阪府高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3428位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1945年7月27日生まれ
戸田 善紀(とだ よしのり、1945年7月27日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。
PL学園高校では2年の時、控え投手として1962年の夏の甲子園に出場。2回戦では先発として起用されるが日大三に敗れた。翌1963年の春の選抜にエースとして出場し、1回戦の首里高校戦で21奪三振を記録する。これは現在も選抜大会歴代最多記録である。この大会では2回戦で北海の吉沢勝投手と投げ合い逆転負け。同年の夏は府予選決勝で和田徹のいた明星に敗れる。明星は甲子園で優勝。高校の同期生に四番打者、一塁手の中塚政幸がいた。
1964年に阪急ブレーブスへ入団。二軍暮らしが長かったが、6年目の1969年にプロ初勝利を挙げる。その後も中継ぎで経験を積み、1973年から先発陣に加わる。1975年に初の二桁勝利を挙げ、チームもリーグ優勝。広島との日本シリーズでも最終第6戦で勝利投手となり、日本一に貢献した。翌1976年の5月11日の南海ホークス戦でノーヒットノーランを達成。この年も12勝し、チームは日本シリーズ2連覇を果たす。
同年オフに大石弥太郎、森本潔、小松健二と共に稲葉光雄、大隅正人、島谷金二とのトレードで中日ドラゴンズへ移籍となった。中日に移籍後も息長く先発投手として勝ち星を挙げるが、1980年の7勝が最高で、二桁勝利には届かなかった。1982年限りで現役を引退。
引退後は愛知県名古屋市で「焼肉ハウス戸田」を経営している。
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