後藤次男の出身高校
後藤次男 プロ野球選手
- 後藤次男卒業高校
- 熊本工業高校 偏差値 熊本県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 1842位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1924年1月15日生まれ
後藤次男(ごとうつぐお、1924年1月15日-)は、昭和中期から後期(1940年代後半-1970年代)のプロ野球選手、プロ野球監督。現役時代は阪神タイガースでプレーした。熊本県熊本市春日町に生れる。熊本県立工業中等学校(現・熊本県立熊本工業高等学校)在学中の1939年、二塁手として春夏連続甲子園出場。1941年には、主将兼捕手として選抜高等学校野球大会 選抜中等学校野球大会に出場し、ベスト4まで勝ち進んだ。その後、法政大学に進み、4番打者として活躍する。1948年、法政大学OBの若林忠志監督が率いる阪神に入団し、ルーキーながら、二塁手、外野手として全試合に出場する。翌1949年から4年連続で3割を超える打率をマークし、主に3番打者として活躍し、「クマさん」の愛称で親しまれた。その間、1950年には連続塁打25の日本記録を打ち立てた。しかし、1953年、シーズン中に鎖骨を骨折し翌年は試合出場が出来ず、それ以降もレギュラーに復帰できず1957年に現役を引退した。
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