後藤斎の出身高校
後藤斎 議員
- 後藤斎卒業高校
- 甲府第一高校 偏差値 山梨県高校偏差値ランキング
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- 495位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
- 生年月日
- 1957年7月22日生まれ
後藤 斎(ごとう ひとし、1957年7月22日 - )は、日本の政治家、農水官僚。山梨県知事(公選第18代)。
内閣府副大臣(野田内閣・野田第1次改造内閣・野田第2次改造内閣)、文部科学大臣政務官(鳩山由紀夫内閣・菅内閣)、衆議院議員(4期)、民主党国会対策委員長代行等を務めた。
山梨県甲府市生まれ。山梨県立甲府第一高等学校、東北大学経済学部卒業。大学卒業後、農林水産省に入省した。本省勤務の他、日本貿易振興会や食糧庁への出向も経験した。
1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で山梨1区から出馬したが、自由民主党の中尾栄一、旧民主党の輿石東の後塵を拝し、得票数3位で落選。その後民主党に入党。山梨1区には既に新党さきがけ出身で、前回の総選挙は比例単独で当選した小沢鋭仁がいたため、山梨3区に国替え。2000年の第42回衆議院議員総選挙では山梨3区で自民党の横内正明に敗れたが、重複立候補していた比例南関東ブロックで復活し、初当選した。
2002年、熊谷弘らが民主党を離党し保守新党を結成した際は、一時熊谷に従って離党する考えを示していたが、最終的には離党を断念。横内正明の山梨県知事選挙出馬に伴う、2003年4月の山梨3区補欠選挙に出馬するよう党本部から求められるも、これを拒否した。これらが影響してか、2003年の第43回衆議院議員総選挙では山梨3区で自民党の保坂武に敗れ、比例復活もならず落選した。
2005年の第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案に反対したため自民党公認を得られず、無所属で出馬した保坂武、自民党公認で小泉純一郎首相の秘書官を務めていた小野次郎、後藤の三つ巴の争いが山梨3区で繰り広げられ、後藤は保坂に1,943票の僅差で敗れたが、再度比例復活した(小野次郎も比例復活し、山梨3区で立候補した3人は全員当選)。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では、民主党への強い追い風に乗り、自民党の小野次郎に比例復活すら許さない大差をつけ、圧勝した(小野はその後自民党を離党し、みんなの党公認で参議院議員に転出)。同年、鳩山由紀夫内閣で文部科学大臣政務官に任命され、菅内閣まで務める。2011年9月、野田内閣で内閣府副大臣に任命され、11月から拉致問題担当の副大臣も兼務する。内閣府副大臣は野田第2次改造内閣まで務めた。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、山梨3区で自民党の中谷真一の猛追を受け苦戦を強いられるも、172票の僅差で逃げ切り、4選。選挙後、民主党国会対策委員長代理に就任。2013年9月、松原仁国会対策委員長代行の国対委員長昇格に伴い、後任の国対委員長代行に就任した。
2014年11月4日、翌年の山梨県知事選挙に無所属で出馬する意向を表明し、民主党に離党届を提出。11月7日、衆議院事務局に議員辞職願を提出し、11月11日の衆議院本会議で辞職が許可された。2015年1月25日投開票の山梨県知事選挙では、民主党に加え自民党、公明党の推薦も受けて当選し、2月17日に山梨県庁に初登庁した。
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