川端崇義の出身高校
川端崇義 プロ野球選手
- 川端崇義卒業高校
- 東海大学付属相模高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 1679位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1985年2月4日生まれ
川端 崇義(かわばた たかよし、1985年2月4日 - )は、静岡県焼津市出身のオリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(外野手)。
東海大学第一中学校(現:東海大学翔洋中学校)時代は1番を打ち、ポジションは捕手だった。3年時に全国大会ベスト8を経験。
東海大相模高校時代は4番を打ち、3年夏の県大会で決勝まで進んだが甲子園出場経験は無し。高校時代のチームメイトに原拓也がいる。
高校卒業後は国際武道大学に進学。野球部では2年時秋と3年時秋に首位打者を獲得し、ベストナインにも4回選出されている。4年時には、大学日本代表に選出され、同学年だった日本大学の長野久義とともに第35回日米大学野球選手権大会と第3回世界大学野球選手権大会に出場した。また全日本大学野球選手権大会への出場経験も有する。
大学卒業後はJR東日本に入社。野球部では1年目の2007年春から公式戦で起用されて外野のレギュラーの一角をつかみ、2年目の2008年には第35回社会人野球日本選手権大会で優秀選手に選ばれて社会人ベストナインのタイトルを獲得。5年目の2011年は、第82回都市対抗野球大会で優勝を果たした。第39回IBAFワールドカップ日本代表にも選ばれた。
2011年10月27日、プロ野球ドラフト会議でオリックス・バファローズから8位指名を受けた。同僚の十亀剣は埼玉西武から1位指名、縞田拓弥はオリックスから2位指名を受けた。
1年目の2012年には、新人野手の中では唯一開幕一軍をつかむと、開幕戦で途中出場して一軍デビューを果たす。この開幕3連戦を終えて登録抹消となったが、二軍戦で11試合に出場して打率.295、10打点の好結果を残した。すると、右翼手が固定できないチーム状況のため、4月21日に一軍再昇格を果たすと、同日に初スタメン・初安打を記録し、以後も順調に安打を積み重ねて一気にレギュラーを奪取した。この頃にT-岡田が左太もも裏の肉離れで登録を抹消したのをうけ、その代役として主に左翼手として出場していた。交流戦に入ると、5月19日の対ヤクルト戦で11回表に満塁走者一掃の決勝適時二塁打を含む3安打2犠打で、全打席で貢献しチームの連敗を6で止め、試合後プロ入り初のお立ち台に上がった。5月22日の対阪神戦で、プロ入り初本塁打を満塁本塁打で記録したが、新人のプロ初本塁打が満塁本塁打の記録は1956年4月11日に米田哲也が記録して以来56年ぶりの球団記録になる。なお、同僚の宮崎祐樹がこの年に初本塁打を初回先頭打者本塁打で記録していたことで、先頭打者本塁打と満塁本塁打により初本塁打を記録した選手が同一年に揃ったのは、史上3例目となった。その後、6月こそ月間打率.140と調子を落としたが、7月は.371、8月は.340とみるみる調子を上げていき、8月18日の対ソフトバンク戦から9月4日の対ロッテ戦にかけて15試合連続安打をマーク。9月3日の対楽天戦での3回表にシーズン100安打を放ち、ドラフト制後では2007年の大引啓次以来、球団史上3人目の新人野手100安打を樹立した。球団新人野手の安打数記録(1985年熊野輝光の114安打)を更新する可能性もあったが、疲労からか9・10月は月間打率.176と大幅に調子を落とし、10月5日の対ソフトバンク戦で大隣憲司から安打を放って熊野とタイ記録に並ぶに留まった。それでも、新人ながら125試合に出場して規定打席に到達し、最下位に低迷するチームにあって奮闘する働きを見せた。
2年目の2013年は2度も頭部死球を受け(4月29日の対日ハム戦と5月9日の対ソフトバンク戦)、これが原因で極度の打撃不振に陥る。6月には2度の二軍落ちを経験する。シーズン終盤の9月4日に一軍登録されも結果的には74試合に出場し、打率.244、1本塁打、打点16という成績に終わる。
パンチ力のある打撃に加え、50m5秒97の俊足も魅力の外野手。
小学3年から野球を始める。なお同郷の同級生には、牧田和久(埼玉西武ライオンズ)と増井浩俊(北海道日本ハムファイターズ)がいる 。
特技にけん玉を挙げており、集中力が高まるとして、リラクゼーションを兼ねたトレーニングに導入している。
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