川満寛弥の出身高校
川満寛弥 プロ野球選手
- 川満寛弥卒業高校
- 実業高校 偏差値 長野県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3775位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1991年3月4日生まれ
川満 寛弥(かわみつ ひろや、1991年3月4日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。
沖縄県宮古島市出身。野球を始めたのは下地小学校3年生から。仲の良い幼馴染みたちが少年野球チームに入ったのをきっかけにして始めたが、最初は軽い気持ちだったという。下地中学校時代は軟式野球部に所属し、ポジションは主に一塁手と外野手だったが、ベンチでスコアブックをつけていることが多かった。
沖縄県立宮古総合実業高等学校に進学。宮古にある4つの高校のうち、甲子園を目指すなら当時は宮古高等学校に入るところ、「楽しく野球が出来れば良い」という理由で沖縄県立宮古総合実業高等学校を選んだ。 しかし、中高校ともに、野球部に専門的な指導が出来るコーチがおらず、宮古総合実業野球部に入部後、投手が足りないという理由で、本人いわく「行きかがり」でピッチャーに転向。 1年夏からベンチ入り。 高校時代はまったくの無名で、3年夏の全国高等学校野球選手権沖縄大会では、初戦で興南高等学校と対戦し、0-11で5回コールド負け。
その後、沖縄県内の大学からも声が掛けられていたが、福岡の九州共立大学経済学部に進学。九共大硬式野球部監督の仲里清からは、投げる時の身体の使い方や連動が素晴らしく、日本を代表する投手になれる素質と見いだされた。 入学時は体重65キロと細身だったため、入学後は1日4食に夜食を詰め込む努力で15キロの増量にも成功した。 1年秋に初登板を果たす。 2年春には、5勝0敗という成績を挙げ、福岡6大学野球リーグで最優秀選手賞を獲得。3年春季リーグでベストナイン選出、防御率1位。
3年時には、第38回日米大学野球選手権大会の大学日本代表選手選考合宿(6月17-19日)へのメンバーに選出。最終代表からは漏れたものの、この時の合宿で当時東洋大学のエースだった藤岡貴裕からスライダーの投げ方を教わるなど目標とする選手への「弟子入り」も経験。
2011年10月にパナマで開催された第39回IBAFワールドカップに大学生として唯一選出され、米国戦とプエルトリコ戦の2試合で先発、2試合計投球回数7回で8失点という結果だったが、社会人野球の選手たちとの差など実感することも多く国際舞台での貴重な経験となった。11月には翌年の世界大学野球選手権大会に出場する大学日本代表選手の選考強化合宿(愛媛県松山市/12月)に参加する40人の中に選出。
2012年、4年では春季・秋季リーグで防御率1位。
2012年10月25日、ドラフトで、千葉ロッテマリーンズから2位で指名され、「いずれ沢村賞を取れるような投手になりたい」と意気込みを語った。 11月21日福岡県北九州市内の九州共立大学キャンパスにおいて、契約金8000万円、年俸1300万円(推定)でロッテと仮契約を結び「やっとロッテの一員になったという実感が湧いた」と笑った。背番号は「36」。 大学で同期の竹下真吾・福地元春が2014年のドラフトで指名を受け、川満と合わせ大学同期の左投手3人がプロ入りすることとなったが、これは吉見祐治・洗平竜也・歌藤達夫以来のことである。
2013年、2014年の2年間一軍での登板は無し。
股割りで足が180度で開いて胸まで着くという関節が非常に柔らかい柔軟性のある186センチの長身で、手足と指が長い投手体型。
ストレートの最速は143km/h。伸びのあるストレートと、落差の大きいカーブで緩急をつけたピッチングが売り。。特にカーブの制球力は高く評価されている。変化球はカーブのほかに、スライダーとフォークを投げる。課題は低目への制球と立ち上がり。
理想とする投手は、元中日ドラゴンズの今中慎二。プロ入り時の会見では、目標とする選手の名前に同じチーム所属となる成瀬善久を挙げ、高校時代から好きな投手で動画や連続写真などをよくみていたという。
野球に興味を持つきっかけとなったのは甲子園出場経験のある叔父の存在で、3歳の頃には「おばあ、ぼくプロ野球の選手になりたい」と祖母の話していたという。そして大学進学で野球を続けるようにすすめ、背中を押したのもこの叔父なのだそうだ。
高校3年の夏大会でコールド負けをし、宮古島へ戻るためにいた那覇空港に九州共立大学の仲里監督がいた。それまでも何度か大学に誘われていたが「自信が無い」と断っていた。この時に空港で「自分の才能に気が付きなさい。プロにしてあげるから」と誘われ、大学で野球を続けることを決意。それまでは高校で野球をやめ、宮古島で就職するつもりでいたという。この空港での出会いを本人はたまたまと思っているそうだが、仲里監督は「ラストチャンス」と思い待っていたのだそうだ。
沖縄生まれの沖縄育ち。九州共立大学に進学し福岡で生活をし始めてから、一ケタの気温も雪も初めて見たという。
さいたま市内にあるロッテ寮では、かつて西岡剛が3年間使っていた“出世部屋”203号室に入ることに。
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