川村龍一の出身高校
川村龍一 アナウンサー
- 川村龍一卒業高校
- 芦屋高校 偏差値 兵庫県高校偏差値ランキング
- アナウンサーランキング
- 1412位 / 1802人中 アナウンサー別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1943年4月7日生まれ
川村 龍一(かわむら りゅういち、1943年4月7日 - 2012年5月25日)は日本のラジオパーソナリティ。元大阪芸術大学短期大学部広報学科(現在のメディア・芸術学科)教授兼学科長。
東京都生まれの神奈川県・兵庫県育ちで、兵庫県立芦屋高等学校・関西学院大学文学部を卒業後に学習研究社へ入社。同社の音楽雑誌「ヒットポップス」で編集スタッフを務めていたが、ラジオ関西の音楽番組でポップス情報を紹介したことをきっかけに、ラジオパーソナリティへ転身した。愛称は「デデ(DEDE)」「デデちゃん」「デデさん」など。
パーソナリティへの転身当初は、「矢沢 二郎(やざわ じろう)」という名義で、東京を中心に活動。活動拠点を関西に移してからは、FM大阪を中心に数々の音楽番組で洋楽を紹介するかたわら、1975年4月から1982年3月までは「川村 尚(かわむら ひさし)」の名義で『ヤングおー!おー!』(MBSテレビの公開収録番組)の総合司会(主に一般客やゲストへのインタビュアー)を務めていた。英語に堪能であることから、英語圏で活動するアーティスト(ノーランズなど)が同番組にゲストで出演した際には、自ら通訳を務めている。
1983年10月から2002年3月までは、平日の早朝に放送されたMBSラジオの生ワイド番組『おはようMBS』(後に『おはよう川村龍一です』と改称)でメインパーソナリティを担当。「音楽DJ」というそれまでのイメージから一転して、ジャーナリストの側面をにじませながらリスナーとのコミュニケーションを重視したことで、同局の聴取率アップに貢献する。1994年9月から2年間は、金曜日のみ、同番組への生出演を終えてから『宵待5』(MBSテレビで夕方に放送されていた関西ローカルの生放送番組)でメインキャスターを務めていた。
1995年1月17日には、『おはよう川村龍一です』への生出演に向けて兵庫県芦屋市の自宅を出発する直前に、阪神・淡路大震災が発生。自宅の倒壊は免れたが、当時の放送開始時間(午前6時30分)までに毎日放送本社(大阪市北区)のラジオスタジオへ到着できなかったため、本社までタクシーで移動しながら(当時一般にほとんど普及していなかった)携帯電話で同番組に向けて被害状況を刻々と伝え続けた。ちなみに、「阪神高速道路神戸線の高架が倒壊した」という情報は、どこのメディアよりも早く川村が同番組の冒頭でリポート。この一連の放送によって、1995年度のギャラクシー賞(放送批評家協会賞)でラジオDJ・パーソナリティ賞を受賞した。
MBSラジオでは、『おはよう川村龍一です』の終了後も、2002年10月から2005年3月まで週に1回のペースで深夜番組(『S』火曜日→『真夜中のドン』)のパーソナリティを担当していた。2006年4月からは、大阪芸術大学短期大学部広報学科教授兼学科長に就任。ラジオ番組の制作などをテーマに据えた講座で教鞭を執ると同時に、FM大阪では久々のレギュラー番組として、平日朝の生ワイド番組『もぐもぐ』月~水曜日のメインパーソナリティを担当した。
2007年3月に『もぐもぐ』が終了してからは、大阪芸術大学での活動にほぼ専念。教育・広報活動のほかに、大学が主催する「プロムナードコンサート」(同大学の学生・音楽系学科の教官などが出演する全国規模のコンサート)で長らく進行役を務めていた。2009年1月4日に『川村龍一のゆ〜ゆ〜ラジオ』(MBSラジオ)で1年9ヶ月振りにラジオパーソナリティとしての活動を再開。前述の広報学科長を続けながら、2011年3月27日の番組終了まで、ワンマンDJスタイルで『おはよう川村龍一です』時代の思い出話や自身の好きな洋楽・歌謡曲などを紹介していた。
大阪芸術大学短期大学部では、広報学科がメディア・芸術学科に改称された2011年4月以降も、引き続き同学科の教授兼学科長を務めていた。しかし、在職中の2012年5月25日に、大阪市内の個人事務所で倒れているところを発見。病院へ運ばれた後に、虚血性心疾患による死亡が確認された。69歳没。
CD「ブロードキャスト・トラックス 毎日放送編」(ウルトラ・ヴァイヴ)に収録されている『ヤングおー!おー!』のテーマ音楽「ハッピーじゃないか」は、放送素材からそのまま収録したため、客席インタビューをしている川村の肉声を聞く事ができる。
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