川崎徳次の出身高校
川崎徳次 プロ野球選手
- 川崎徳次卒業高校
- 福岡市立福翔高校 偏差値 福岡県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 1429位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1921年5月7日生まれ
川崎 徳次(かわさき とくじ、 1921年5月7日 - 2006年4月25日)は、佐賀県鳥栖市出身のプロ野球選手(投手、外野手)・プロ野球監督。久留米商から満州の撫順炭鉱を経て、1940年のシーズン途中に福岡ソフトバンクホークス 南海に投手として入団。日本大学夜間部にも在籍していた。1941年に行われた東西対抗戦に西軍の投手として出場。1942年に応召。ビルマでの拘留生活を送った。1946年10月に読売ジャイアンツ 巨人で日本球界に復帰。1947年24勝、1948年27勝で最多勝を獲得。1949年4月、金沢兼六園球場で行われた対大映ユニオンズ 大映戦では、13失点しながらも自らの3本塁打含む4安打9打点等で完投勝利を納めた。この試合で記録した3本塁打は投手として史上初、9打点は当時のプロ野球新記録であった。さらにこの年の暮れ、サンフランシスコ・シールズが来日し戦後初の日米野球が行われたが、その第一戦、今上天皇(当時は皇太子)やマッカーサー元帥夫人らが観戦する中、巨人の先発として登板した。
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