川崎宗則の出身高校

川崎宗則 プロ野球選手

川崎宗則卒業高校
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2239位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1981年6月3日生まれ

川﨑 宗則(かわさき むねのり、1981年6月3日 - )は、鹿児島県姶良市出身のプロ野球選手(内野手)。現在は、フリーエージェント。

愛称は「ムネリン」。

鹿児島県姶良市出身。実家は父が開業したという電気工務店「川崎電気工事」で、自身も高校時代に電気工事士の資格を取得している。兄の影響で野球を始め、小学生から高校生まで一貫して遊撃手だった。元々右打ちだったが中学時代にイチローの影響で左打ちに変える。重富中学校を経て、鹿児島県立鹿児島工業高等学校に入学。高校時代は甲子園出場は無く、全国的には無名だったが、50m走5秒8の俊足で左打ち・安打数の多さから「サツロー(薩摩のイチロー)」と呼ばれた。

1999年のドラフト会議において、福岡ダイエーホークスに4位指名され、入団。背番号は52。

2000年の新人時代から二軍で遊撃手のレギュラーに定着し、ウエスタン・リーグ5位(チームトップ)の打率.300を記録。

2001年はウエスタン・リーグ2位の29盗塁を記録し、同年10月3日に一軍初出場。

2002年には規定打席不足ながら打率.367を残し、認定でウエスタン・リーグの首位打者になり、9月には井口資仁の離脱で二塁手として起用された。第15回IBAFインターコンチネンタルカップ日本代表に選出。

2003年は鳥越裕介の故障によって2番・遊撃手で初の開幕スタメン出場。鳥越の復帰後は小久保裕紀の長期離脱で空いた三塁手に回り、1番・村松有人・3番・井口とともに盗塁を量産、足でダイハード打線に貢献した。初の規定打席到達で打率.294・2本塁打・51打点・30盗塁の好成績を残し、チームのリーグ優勝・日本一に貢献。

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