島野修の出身高校
島野修 プロ野球選手
- 島野修卒業高校
- 武相高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 2760位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1950年6月2日生まれ
島野 修(しまの おさむ、1950年6月2日 - )は、神奈川県出身。昭和後期(1970年代)のプロ野球選手(投手)。その後は球団マスコットキャラクター一覧 マスコットキャラクターの中での演技を18年に渡り続け、ファンに広く愛された。 高校野球では神奈川の強豪、武相中学校・高等学校 武相高校に進学し、1967年と1968年の全国高等学校野球選手権大会 夏の甲子園に連続出場を果たし、どちらも2回戦で敗退した(1967年は2戦目、1968年は初戦)。神奈川県大会の決勝では2年連続完封、1967年には甲子園でも1完封を記録している。 1968年のドラフト会議 ドラフトでは読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。その際、明治大学の星野仙一(中日ドラゴンズの1位指名で入団)が、法政大学の田淵幸一(ウェーバー制で巨人の順番が来る前に阪神タイガースが1位指名)の代わりの1位指名を事前に巨人側から伝えられていたがほごにされ巨人は島野を指名した。星野は当初状況がつかめず、「ホシとシマの間違いじゃないか」と言ったとされ、中日入団後には巨人に闘志を燃やす原因となったというエピソードが伝えられている。ちなみに、この年のドラフトは大豊作のドラフトといわれ、後に華々しい活躍を収める選手たちがドラフトで指名されている。
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