島田秀平の出身高校

島田秀平 お笑い芸人

島田秀平卒業高校
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お笑い芸人ランキング
89位 / 407人中 お笑い芸人別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1977年12月5日生まれ
血液型
O型

島田 秀平(しまだ しゅうへい、1977年12月5日 - )は、日本のタレント、お笑い芸人、占い師。

長野県長野市出身。ホリプロコム所属。

1996年、幼稚園からの幼なじみ赤岡典明と、お笑いコンビ「号泣」を結成。コンビ時代は漫才中心で、ツッコミを担当。主に言葉遊びネタ(回文など)を使って活躍していた。

2007年頃から、島田単独での仕事が増えていた矢先、赤岡の転職希望などの事情から翌2008年6月2日付をもち「号泣」解散、赤岡が芸能活動を引退した。

解散後、進退について迷っていた島田だったが、事務所の先輩の和田アキ子やスピードワゴンの小沢一敬の説得もあり、活動を続けていくことになった。

解散後は、島田得意の手相関係や怪談、都市伝説、パワースポットをネタにするなど、幅広く活動をしている。

2010年のサッカーワールドカップでは、主な国の選手の手相を占うことで、決勝進出国と優勝国を的中させた。

2003年頃仕事で知り合った菅野鈴子(原宿の母)から「あんた、見えるね(手相を見る力がある)」と言われ、手ほどきを受けた。その後、何度も教えを請い、2007年夏頃『代々木の甥』の名前をもらった。自分で命名したオリジナル手相というのが100種類ほどあり、「エロ線」「KY線」「あげまん線」など、ユニークな名前を付けている。また、「手相は統計学ですから」とも述べている。

手相を見る仕事が増えて以降、芸能人から真剣な相談をされることが多いため、恋愛関係も含めて芸能人同士の人間関係にかなり詳しいと噂されている。ただし、物凄く口が堅いので、1度もそれを人にばらしたことはない。本人曰く「絶対に言えないですけど、写真週刊誌で6カ月スクープを飾れるほど」[7]。

小さい頃から怖い話や噂話が好きで、芸人になってからも、楽屋や打ち上げで色々な人から聞いた話をずっと書き溜めていた[8]。そうして集めた都市伝説や怪談ネタを多数持っており、毎月第3金曜日にタムケン(放送作家)、すぎ。(インスタントジョンソン)、長浜之人(キャン×キャン)と一緒に、「未確認噂話『首都神話』」というトークイベントを都内で開催している。漫画やアニメなどのサブカルチャーにも明るい[9]。

先祖に真田幸村に仕えた島田太郎兵衛がおり、秀平は9代目[10]である。

ホリプロコムを志したきっかけは、憧れていたフォークダンスDE成子坂がホリプロに所属していたため。

長身である一方、細身の体型を気にして重ね着をしている。スノーボードやバスケットボールを得意とするなど、スポーツマンの一面もある。中学校時代に3年間バスケ部に所属し、長野県大会2位の実績を持つ。

『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』[11]に「元コンビ芸人」として初出演。解散ライブ後の相方・赤岡からの第一声が「お前さ、あの部分もっと突っ込めば・・・あっ。もういいんだっけ。」と言われ泣きそうになった。解散後、ピンでの活動のプレッシャーと恐怖心で円形脱毛症になった事を明かした。「コンビ時代を思い出すと泣きそうになる」といい、相方がいない寂しさから犬を飼いたいと思っていることも明かした。

2010年11月16日公開の『転職サイトのインタビュー』では、先輩とのエピソードとして以下を明かした。

相方・赤岡が「他の仕事をしたい」と長野に帰り、本人も辞めるしかないと思い始めていた。世話になった和田アキ子に挨拶に行った際、「あと1年、芸人ともうひとつ別の何かのふたつを頑張ってみろ」と言われ、あとひとつを考えた。その3 - 4年前に仕事で出会った原宿の母・菅野鈴子に才能を見いだされ趣味で手相を習っていたため、それが思い浮んだ。また、同時期に実家から島田が高校生の時に亡くなった父親が残したノートが見つかった。当時子供が生まれた姉・離婚しそうになっていたもうひとりの姉・そして秀平宛のものだった。それぞれの現状を見ているかのような父の言葉が残されており、秀平宛のノートには「男にとって仕事とは」というような内容が記されていた。同時に、子供の頃から書きためていた怖い話や都市伝説のノートが見つかり、自分はスピリチュアルなことが好きだということを再確認。和田アキ子に言われた“もうひとつ”を、これに定めた。

手相やパワースポット、怪談話で売れだした頃、“占い師”として番組には呼ばれるが、「この先は“芸人”として呼んでほしい、番組をそれぞれ一回りした為これからが勝負だ」と悩み始めた。そんなおり、テレビ局のトイレで、お笑い芸人になる前から憧れだったダウンタウン・松本人志とばったり会った。「失礼します」と隣に並ぶと、松本から「最近、頑張ってんな」と声をかけられた。思わず、前述の悩みを口に出すと「知らんよ、そんなん」とだけ言い、松本は出て行ってしまった。「そりゃあそうだよなぁ。憧れの人に俺は何を言ってるんだろう」と後悔していると、松本が戻って来て「でも、どっちも人を喜ばすことやからええんちゃう」と言ってくれた。

『おもろゲ動画SHOW』[12]内の“ブラマヨ吉田プロデュース芸能人名言動画”の中で、さまぁ〜ずとのエピソードが紹介された。「号泣」以来初めてピンで舞台に立ったホリプロお笑いライブ200回記念の出番前、舞台袖でガチガチに緊張していた島田に、三村マサカズが「緊張してんの?」と声をかけてきて、「お小遣いをやるから頑張れ」としわくちゃの千円札をくれた。その後の打ち上げで「その千円は、今度舞台袖で緊張している後輩がいたら、お前から渡してやってくれ。これは頑張っているお前への俺からの声援(千円)だよ」と言われた。また、さまぁ〜ずには「俺はお前のお笑い以外でも売れるという執念を見た」「お前はお笑い芸人だよ」と言われ励まされたとも語っている。

ラジオ番組『バナナマンのバナナムーン』[13]に出演した際、本気の悩みを相談するという主旨だったため、上記の悩みを相談。設楽統から「号泣の頃にはテレビに呼ばれなかったのは、テレビ的なツッコミが下手だから」「(イジられたとき)無理してキツくいかずへりくだってニコニコ言い、負け戦を自らしていったほうが番組的にもこれからの島田のためにもいい」と具体的なアドバイスを受けた。

AKB48での推しメンは宮澤佐江らしい。

巨根である事が有名で、さまぁ〜ずの三村曰く「焼き芋サイズ」との事。その発言を受けて、島田は「コンドームを装着したら、ゴムが破裂した」と巨根エピソードを披露(内村さまぁ〜ずの98回配信分に出演時)。

TV番組『新堂本兄弟』[14]収録中にT.M.Revolution西川貴教の手相を見た際、初対面である西川貴教に対して「“女難の相”というより、西川さんの方に問題がある」「西川さんには人として最低な線が目白押し」「あなたクソ野郎です!」と暴言を連発し番組スタッフを凍りつかせた。

2011年12月15日『レディス4』番組内で、「今年から慶應義塾大学の通信教育課程に在籍しており、心理学を専攻中」の旨を語った。なお『レディス4』司会の一人板垣龍佑も慶大卒で、島田は「板垣の後輩になった」と談話している。

食べ物に関して、好き嫌いはほとんどないが、唯一食べられないものは枝豆である。理由は実家でとれた枝豆に虫が入っていたのを気付かずに食べ、トラウマとなってしまったため[15]。

2016年4月から、大妻マネージメントアカデミーの講師に就任[16]。

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