岩木康郎の出身高校

岩木康郎 プロ野球選手

岩木康郎卒業高校
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性別
男性
生年月日
1946年3月18日生まれ

岩木 康郎(いわき やすろう、1946年3月18日 - )は、大阪府大阪市西成区出身の元プロ野球選手。ポジションは捕手。

浪速高校では1963年夏の甲子園府予選準決勝に進出するが、和田徹捕手のいた明星高に敗れ甲子園出場を逸する。明星高は甲子園で優勝。1964年に近鉄バファローズへ入団。二軍暮らしが長かったが、1969年に正捕手に抜擢され104試合に出場。しかし翌年には、移籍してきた辻佳紀に定位置を譲る。その後も辻とレギュラーを争うが、1974年に梨田昌孝が台頭したこともあって出番が減り、一軍出場は1974年が最後となった。1977年から3年間は二軍コーチ兼任で選手を続けたが、1979年限りで選手を引退し、翌年からは二軍コーチ補佐となり、代わって木村貴臣が選手兼任捕手となった。

その後は、スカウト、スコアラー、バッテリーコーチ等を歴任し、2006年まで、近鉄を長きに渡り陰から支えた。

1971年9月9日に鈴木啓示投手がノーヒットノーラン(対西鉄戦、日生)を達成した時にバッテリーを組んでいた。(選手名鑑に想い出の試合として記載)

1977年9月20日、後楽園球場での日本ハムとのダブルヘッダー第1試合(後期11回戦)において、この試合では登録外でブルペン捕手を務めていた岩木は、5回表の本塁上クロスプレーによる乱闘に参加し、日本ハム選手に暴行を加えたことにより、球審の五十嵐洋一から退場を命じられた。登録外の選手が退場処分を受けるのは稀である。なお、岩木は現役時代、405試合に出場し退場処分はないが、ウエスタン・リーグで1度退場処分を下されている。

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