岩崎優の出身高校

岩崎優 オリンピックメダリスト

岩崎優卒業高校
清水東高校 偏差値 静岡県高校偏差値ランキング
オリンピックメダリストランキング
2位 / 31人中 オリンピックメダリスト別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1991年6月19日生まれ

岩崎 優(いわざき すぐる、1991年6月19日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手(投手)。

静岡県清水市(現在の静岡市清水区)の出身。静岡市立清水第四中学校で軟式野球を始めると、数多くのサッカー選手を輩出している進学校の静岡県立清水東高等学校を経て、東都大学野球リーグの国士舘大学21世紀アジア学部へ進んだ。国士舘大学では、東都1部リーグ所属だった1年時からベンチ入りを果たすと、東都2部リーグに所属した2年時以降は救援投手として活躍した。

2013年のドラフト会議で、阪神からの6巡目指名を受けて入団。背番号は67。岩崎を大学3年秋から視察していた中尾孝義スカウトが、入団交渉を担当した。

阪神は、この年のドラフト会議で5選手の指名を予定していた。5巡目で山本翔也を指名した後も、他球団が岩崎を指名しなかったため、中尾が佐野仙好統括スカウトと高野栄一球団本部長に岩崎の指名を進言。進言を受けて佐野と高野が急遽決断した結果、岩崎の指名に至った。

2014年には、春季キャンプを二軍選手主体の安芸組で迎えた。しかし、実戦登板で無失点を続けたことから、オープン戦の序盤から一軍で登板を重ねた。公式戦の開幕こそ二軍で迎えたが、4月2日の対中日戦(京セラドーム大阪)に先発投手として一軍デビューを果たすと、5回無失点という内容で一軍初勝利を挙げた。一軍公式戦での初登板で初勝利を挙げた阪神の新人投手は通算8人目で、2007年の小嶋達也以来7年振りであった。5月7日のの中日戦(ナゴヤドーム)では、同期入団で同い年の梅野隆太郎とバッテリーを組んで先発。阪神では2002年の安藤優也 - 浅井良以来12年振りに、新人同士のバッテリーで一軍の公式戦に臨んだ。7月5日の対横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では、梅野とのバッテリーで3勝目を記録。阪神の一軍公式戦では、1983年の御子柴進 - 木戸克彦以来31年振りの新人バッテリーによる勝利でもあった。7月後半から約1ヶ月間の二軍調整を経験したが、一軍では先発一本で5勝4敗、防御率3.50を記録。阪神にドラフト6位以下の順位で入団した新人投手が、一軍で5勝を挙げたのは球団史上初めてであった。チームがシーズン3位で臨んだポストシーズンでは登板の機会がなかったものの、シーズン終了後の11月11日に甲子園で開かれた「日本プロ野球80周年記念試合」では、阪神・巨人連合チームの3番手投手として登板(1回2失点で敗戦投手)。同月21日には、推定年俸1500万円(840万円増)で契約を更改した。

2015年には、先発ローテーションの5番手以降の座を担うべく、4月2日の対東京ヤクルト戦(明治神宮野球場)でシーズン初の一軍戦登板。シーズン中盤までは、先発を任されながら勝利投手の権利を得る目前で制球難や集中打に見舞われるなど調子が安定せず、一軍と二軍の往復を繰り返した。その一方で、二軍調整中の7月12日には、ウエスタン・リーグの対オリックスバファローズ戦(阪神鳴尾浜球場)でプロ初完投(9回1失点での勝利)を経験。前述の初登板から5連敗を喫していた一軍でも、シーズン8試合目の登板になった8月9日の対DeNA戦(横浜)でシーズン初勝利を挙げると、同月中にプロ入り後初の3連勝を記録した。しかし9月には、公式戦で初めて讀賣ジャイアンツ(巨人)戦に先発する(22日)一方で、好投しながら打線の援護に恵まれずに敗北する試合が相次いだ。結局、一軍のレギュラーシーズンでは、オール先発で15試合に登板。3勝10敗と大きく負け越しながら、防御率を前年並みの3.51にとどめるなどの投球内容が評価されて、11月18日には推定年俸2000万円(500万円増)で契約を更改した。なお、チームがレギュラーシーズン3位で迎えたポストシーズンでは、巨人とのクライマックスシリーズ ファーストステージ第1戦(10月10日・東京ドーム)で自身初の一軍戦救援登板を果たしている。

球持ちが良くゆったりしたスリークォーターのフォームから、最速144km/h(プロ入り後の最速は142km/h)のストレートを投げ込む。また、ストレートを投げる時と同じフォームで、スライダーやフォークなどの変化球を投げられる。独特の投球フォームは打者に球の出所を見えにくくさせ、加えて腕の振りが遅れてくるように見えると評価されている。阪神入団後の新人合同自主トレーニング中にブルペンで投げ込みを始めた時には、そのフォームを見た二軍監督の平田勝男と一軍投手コーチの山口高志が「(岩崎と同じくドラフト6巡目での指名を経て千葉ロッテマリーンズに入団した)成瀬善久のようだ」という表現で岩崎を称賛した。

大学時代には、3年生の時に東都大学野球2部秋季リーグで防御率0.94(リーグ2位)を記録。また、4年生の時には、シンカーの投げ方を習得。2年生から救援投手としてリーグ戦で活躍するなど、先発も中継ぎもこなせる順応性も持ち味である。

マウンドでは、どのような場面でも、ポーカーフェイスを貫きながら淡々と投げている。

母親は地元のソフトボールチームの現役選手であることから、岩崎は幼少期に、母親の所属チームで球拾いを経験。この経験をきっかけに、野球に興味を示すようになった。

父親は成長期における肩の酷使を戒める一方で、基礎体力の養成を優先する方針だったため、小学校時代は水泳部で活動。水泳部では、自由形・平泳ぎ・背泳ぎ・バタフライといった泳法や、肩・腕の柔軟な動きを身に付けながら足腰を鍛えた。ちなみに、岩崎自身は平泳ぎを得意にしている。

学生時代からプロ野球への志向が強く、清水東高校への在学中には、当時の監督に対して「プロ野球の世界に行きたい」と宣言。国士舘大学3年生の時には、監督の永田昌弘の勧めで社会人野球へ進むことが内定していたにもかかわらず、監督との面談の席でプロ野球を目指すことを明言した。

大学時代には、名前の「いわざき」を、「いわさき」と読み間違えられることが多かったという。

2014年の一軍初登板・初先発・初勝利は、ドラフト会議での最下位指名で阪神へ入団した新人投手では史上初の快挙であった。阪神球団では、この快挙を受けて、初勝利記念のシリアルナンバー入りフォトパネルを急遽100枚製作。2014年4月8日から、公式オンラインショップ「T-SHOP」を通じて99枚限定・1枚16,200円で売り出した。阪神球団が新人選手の公式グッズを、1万円を超える単価でシーズン中に販売することは異例であった。なお、背番号と同じシリアルナンバー「67」のパネルは、岩崎本人に贈られた。

家族は大のヤクルトファンであったが、岩崎のプロ入りを機に、一家ぐるみで阪神を応援。岩崎自身も、阪神主催試合のヒーローインタビューで阪神百貨店から「ヒーロー賞」としてトラッキー(球団のマスコットキャラクター)のぬいぐるみを進呈されるたびに、祖母へぬいぐるみを贈っている。岩崎によれば、このようなプレゼントが自身の励みになっているという。

※2015年度シーズン終了時

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