山本美香の出身高校
山本美香 ジャーナリスト
- 山本美香卒業高校
- 桂高校 偏差値 山梨県高校偏差値ランキング
- ジャーナリストランキング
- 54位 / 60人中 ジャーナリスト別偏差値ランキング
- 性別
- 女性
- 生年月日
- 1967年(昭和42年)5月26日生まれ
山本 美香(やまもと みか、1967年(昭和42年)5月26日 - 2012年(平成24年)8月20日)は、日本のジャーナリスト。ジャパンプレス所属のジャーナリストとしてイラク戦争など世界の紛争地を中心に取材し、ボーン・上田記念国際記者賞特別賞、日本記者クラブ賞特別賞などを受賞した。2012年のシリアでの取材中、政府軍の銃撃により殺害された。
父親も朝日新聞の元記者。山梨県都留市出身。3人姉妹の次女。山梨県立桂高等学校、1990年(平成2年)に都留文科大学文学部英文学科卒業後、朝日ニュースターに入社し、記者、ディレクター、ビデオジャーナリストとして活動する。
1995年(平成7年)、朝日ニュースターを退職、フリーランスを経て、アジアプレス・インターナショナルに所属。1996年(平成8年)からは独立系通信社のジャパンプレスの記者。ジャパンプレスの上司である佐藤和孝と15年間、コンビを組んで取材した。ターリバーン支配下のアフガニスタン取材など、新聞、テレビ、雑誌で発表。2003年、イラク戦争の際のバグダードからレポートを送り続けた。
2003年(平成15年度)のボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞している。2013年には、危険な状況下の取材により報道の自由に大きく貢献をした記者に贈られる、国際新聞編集者協会の世界報道自由ヒーロー賞を受賞している。
最後の地を共に取材していた佐藤とは、15年近く前からの事実婚関係にあり、「公私にわたるパートナーだった」と佐藤は時事通信の取材で語っている。
2003年(平成15年)10月から2004年(平成16年)3月にかけて日本テレビ『NNNきょうの出来事』のフィールドキャスターを務めた。
2008年(平成20年)には早稲田大学大学院政治学研究科の非常勤講師に就任すると共に、母校である都留文科大学でも臨時講師として教壇に立ち、後輩たちに自らが世界各地を取材して見聞してきたことを基に講義を行った。
出身地の都留市での活動が評価され、2011年(平成23年)には日本国政府の外交分野の「仕分け人」に選ばれ、在外公館や査証に対し、意見を述べた。
2012年(平成24年)8月20日、シリア内戦の取材中、シリア北部のアレッポにてシリア政府軍(シャッビーハ)の砲撃を受けて、搬送先の病院で死亡したことを反アサド政権「自由シリア軍」のスポークスマンが発表した。日本の外務省もこの事実を確認した。山本の家族へは21日の9時頃に、佐藤からの電話連絡で伝えられた。銃撃後に病院に運ばれ、パートナーの佐藤が確認したところ、右腕および首に銃創痕が、防弾チョッキで保護された腹部にも、銃撃の跡があり、大量の出血があった。45歳没。
最後の取材は2012年(平成24年)8月14日に現地入りし、日本テレビ系の報道番組などで放送された。銃撃時も取材中で、カメラを回していたという。
山本の遺体は、22日トルコ・アダナの政府施設に運ばれ検視が行われた。
その後、遺体はイスタンブールを経由して、8月25日に遺族や佐藤と共に同便のトルコ航空機で日本の成田国際空港に搬送された。日本の警視庁は刑法の「国外犯規定」に基いてこの事件を殺人容疑で捜査しており、同日杉並警察署で山本の遺体を検視した。その後遺体は自宅に運ばれた。
26日、東京都内の大学病院で司法解剖が行われ、死因は首への銃撃による頸髄損傷とみられると発表した。また、銃創痕が9カ所あることが明らかになった。
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