山本浩之の出身高校

山本浩之 アナウンサー

山本浩之卒業高校
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性別
男性

山本 浩之(やまもと ひろゆき、1962年3月16日 - )は、大阪府堺市生まれ・泉佐野市育ちのフリーアナウンサーで元関西テレビ放送アナウンサー。

愛称はヤマヒロ。長男は日本テレビアナウンサーの山本健太。

大阪府立佐野高等学校・龍谷大学法学部を卒業後の1985年(昭和60年)に、アナウンサーとして関西テレビ放送へ入社した。現在は、奈良県奈良市に在住。家庭では、健太を含む3人の息子の父親でもある。

関西テレビへの入社後は、プロ野球・競馬などのスポーツ実況や、情報番組・バラエティ番組のリポーターなどを経験。しかし競馬中継では、当時の主力が杉本清や馬場鉄志などのベテランアナウンサーであったことなどから、実況の機会は年間で数レースにとどまった。その後は、報道・バラエティ番組を主に担当しているため、競馬関連の番組にはほとんど出演していない。その一方で、『シュートinサタデー』『いつでも笑みを!』(毎週土曜日の午前中に関西テレビの本社スタジオから放送されていたFNS系列全国ネット番組)ではパートナーを務めた。

また、1997年(平成9年)10月から半年間、深夜番組『クロスファイア』の司会を務めたことをきっかけに、『プライスバラエティ ナンボDEなんぼ(ナンボDEなんぼ)』などのバラエティ番組で個性を発揮(後述)。2007年(平成19年)1月5日から2012年(平成24年)7月27日までは、関西テレビのポッドキャスト企画第2弾『ヤマヒロのアナ Pod cafe』のパーソナリティを担当していた。

1991年(平成3年)4月に『FNNアタック600』(当時平日の夕方に放送されていたローカルワイドニュース番組)のメインキャスターに抜擢。同番組の後番組『アタック ザ・ヒューマン』でも、1997年9月までメインキャスターを務めた。

2002年(平成14年)には、『ほっとカンサイこの1年 NYリポート』(前年12月に収録・放送)で第18回FNSアナウンス大賞の大賞を受賞。2006年(平成18年)4月には、『FNNスーパーニュースアンカー』の「アンカーマン」として、『アタック ザ・ヒューマン』からの降板以来8年半振りに平日夕方のローカルワイドニュース番組のメインキャスターに復帰した。ただし、『アンカー』のアンカーマン就任前から担当していた『ナンボDEなんぼ』(土曜日の午後に放送)については、「報道だけじゃ息が詰まる。精神的なガス抜きの場を失いたくない」との理由でレギュラー出演を続けた。

『ナンボDEなんぼ』が2009年(平成21年)12月で事実上終了してからは、ニュースキャスターとしての活動にほぼ専念。2013年(平成25年)までは、阪神・淡路大震災や東日本大震災を教訓とした防災関連の特別番組や、国政選挙の開票特別番組(関西ローカル)などでもキャスターを担当した。2012年(平成24年)2月13日から3月9日までは、『アンカー』の特別企画「雨ニモマケズをさがして -山本浩之 被災地を歩く-」で、東日本大震災で被災した福島県・宮城県・岩手県内に滞在しながら取材リポートを送っていた。

関西テレビ(KTV)は2013年(平成25年)2月20日に、山本が同年3月31日付で退社することを発表した。山本自身は、退社を決めた理由として、「2012年に50歳を迎えたことを機に、今後のアナウンサー人生について想いを巡らせた結果、これまでやったことのないさまざまな仕事に挑戦してみたくなった」「(学生時代から関心の高かった)ラジオ番組で活動したい」と述べている。

同年4月1日からは、『アンカー』のアンカーマンを続投する一方で、山本の妻が社長を務める個人事務所「PH(ピーエイチ)カンパニー」所属のフリーアナウンサーとして活動。フリーアナウンサー転身初日の4月1日(月曜日)には、『スーパーニュースアンカー』の本番前に、『子守康範 朝からてんコモリ!』(MBSラジオ平日早朝の生ワイド番組)→『ドッキリ!ハッキリ!三代澤康司です』(ABCラジオ平日午前の生ワイド番組)→『上泉雄一のええなぁ!』(MBSラジオ平日の生ワイド番組)の順にゲストで出演した。

テレビでは、同年4月5日(金曜日)にMBSテレビのスポーツ情報番組『カワスポ』の第1回へ出演したことを皮切りに、(KTVを含む)フジテレビ系列局以外の放送局制作の番組にも登場。転身後の半年間は、『アンカー』のアンカーマンとしての活動を優先するため、他の番組にはKTV時代と同じくゲストで出演することが多かった。

その一方で、2013年6月16日からは、大学の先輩・やしきたかじんが「委員長」を務める『たかじんのそこまで言って委員会』(隔週金曜日に収録する読売テレビ制作の討論バラエティ番組)に「副委員長」として登場。当時病気療養中だったたかじん及び、それまで「副委員長」として出演していた辛坊治郎の代理扱いながら、KTV以外の放送局で初めてレギュラーを務めることになった。なお、たかじんが2014年1月3日に死去した直後には、特別番組『たかじん追悼スペシャル そこまで逝って委員会』(同月25日放送)で辛坊・宮根誠司(朝日放送出身のフリーアナウンサー)と共に司会を担当している。

2013年9月27日には、「世代交代」や山本自身の意向(前述)などを理由に、『アンカー』のアンカーマンを降板。2013年10月15日からは、毎週火曜日(2014年4月4日から金曜日)の夜間に、MBSラジオの生ワイド番組『ヤマヒロのぴかいちラジオ』でメインパーソナリティを務めている。ラジオ放送事業を運営していないKTVでアナウンサーとしてのキャリアを積みながら、MBSやABCのラジオ番組に何度もゲストで出演してきた(後述)山本にとっては、この番組が地上波ラジオ番組での初レギュラーになった。

さらに毎日放送では、2014年4月7日から、『アンカー』と放送時間の一部が重なる『ちちんぷいぷい』(MBSテレビ)のレギュラーに山本を起用。山本は、月 - 木曜日放送分で、全編にわたってメインパーソナリティを務める(2015年7月までは毎日放送アナウンサー・西靖との共同司会扱い)。『ちちんぷいぷい』では、スタジオ進行(月 - 木曜日)やVTRリポート(水曜日 → 火曜日)などに加えて、『アンカー』のアンカーマン時代に携わっていた前述の取材も続けている。

趣味は落語、ギターの演奏、ゴルフなど。『ヤマヒロのアナPod cafe』や、メインパーソナリティへの就任発表を兼ねて初めて出演した2014年3月18日放送分の『ちちんぷいぷい』では、特技として歯笛を披露した。

ギターについては、KTVのアナウンサー時代からフォークバンド「エルキュール上野とアフターアワーズSHOW」のメンバーとして活動しているほか、『クロスファイア』でかつらの着用を告白した際にもVTRの中で演奏している。『アンカー』の水曜コメンテーターの青山繁晴が主宰している「インディペンデントクラブ」のイベントで、青山とのジョイントライブを実施したこともある。

『ちちんぷいぷい』総合司会就任後の2014年5月3日(土曜日)に服部緑地野外音楽堂で開催のジョイントコンサート「春一番2014」初日公演には、「エルキュール上野とアフターアワーズSHOW」のメンバーとして出演するとともに、ギターの独奏も披露した。

また、KTVアナウンサー時代の2008年11月16日には、同局主催のライブイベント「Livejack Special Stories -Drama×Songs-」のサプライズゲストとして大阪城ホールのステージに登場。「(同イベントに出演していた)ET-KINGの新メンバー」という触れ込みで、ET-KINGの楽曲『愛しい人へ』を同グループと一緒に熱唱した。

KTVのアナウンサー時代から、柏木宏之・上泉雄一(いずれも毎日放送アナウンサー)、三代澤康司 (朝日放送アナウンサー)、森武史(読売テレビ元アナウンサー)と親しく交流している。KTV時代には、柏木・三代澤・森とともに落語講演会で同席。山本が『上泉雄一のええなぁ!』に電話で出演したり、『ヤマヒロのアナ Pod Cafe』に森をゲストに迎えたりしたこともある。さらに、所属局のチャンネル番号(リモコンキーID)にちなんだ「10ちゃん8ちゃん」というコンビ名で、森と共に漫才を数回披露していた。ちなみに、2014年4月から『ちちんぷいぷい』で共演中の西や石田英司とも、KTVのアナウンサー時代から酒席を共にするほどの面識があった。山本が通っていた生田教室出身の在阪アナウンサーとも親交が深い。

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