山本富士子の出身高校

山本富士子 俳優

山本富士子卒業高校
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性別
女性
生年月日
1931年12月11日生まれ

山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - )は昭和中期から平成期(1950年代後半-)の日本の俳優。大阪府和泉市生まれ。その象徴的な名前である山本富士子は本名。大阪府立泉大津高等学校卒業。日本一の美女と言われ、昭和時代の美人の代名詞であった。1950年、700人近い応募者の中から見事ミス日本の座に輝く。そのずば抜けた美貌は審査員達の間でも話題の的で、決定は満場一致で短時間で済んだという逸話が残っている。ミス日本に選ばれた後、映画界からスカウトが相次ぐが彼女には女優になる意思はなかった。しかし、「これからの女性は仕事を持つことよ」という姉・喜代子の言葉で女優になる決心をする。ちなみに、その喜代子も薬剤師の仕事に就き、富士子と同じく家庭を持った後も仕事を続けた。映画会社各社の争奪戦の末、1953年、大映に入社。同年の映画「花の講道館」で長谷川一夫 (俳優) 長谷川一夫の相手役としてデビュー。戦後ミスコン出身女優第1号と言われている。デビュー後は大映の看板女優として大活躍し、日本を代表する女優となる。1963年、彼女が他社出演の許可と出演本数を少なくするという約束を守ってほしいと頼んだところ大映の社長・永田雅一の怒りを買い、五社協定もあって他社の映画や舞台にも出演できなくなる。看板女優の彼女を失った大映の映画館は空席が目立つようになり、大映倒産そして日本映画界全体の斜陽化の遠因となる。この後、彼女はテレビドラマに活路を求め、「山本富士子アワー」などに主演した後、舞台に新境地を開き、現在まで舞台一筋で主演を続けている。なお、五社協定から43年が経った2006年の今も映画界には復帰していない。1962年、作曲家の山本丈晴氏と結婚。

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