山崎武昭の出身高校
山崎武昭 プロ野球選手
- 山崎武昭卒業高校
- 高知市立高知商業高校 偏差値 高知県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3428位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1941年6月25日生まれ
山崎 武昭(やまざき たけあき、1941年6月25日 - 1995年2月1日)は、高知県出身のプロ野球選手(投手)。
高知商では2年生の時、1958年の夏の甲子園に、森光正吉の控え投手として出場。リリーフで2試合に登板するが、準決勝で柳井高に敗退した。翌1959年は主戦投手として甲子園に春夏連続出場。春の選抜では準々決勝に進出するが、県尼崎高のエース合田栄蔵と投げ合い0-1で完封を喫する。夏の選手権でも準々決勝に進むが、大井道夫投手を擁する宇都宮工に9回裏0-1でサヨナラ負け。高校同期に中堅手の倉内顕(西鉄)、1年下に控え投手の徳久利明がいた。
法政大学に進学し、東京六大学リーグで3度の優勝に貢献。1962年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で駒大を降し優勝している。1963年秋季シーズンには慶應義塾大学との優勝決定戦で渡辺泰輔に4-3で投げ勝った。大学同期に龍隆行がおり、左の二本柱として活躍した。リーグ通算23勝13敗、防御率1.20、ベストナイン1回。
1964年に東映フライヤーズに入団。主力投手として期待されたが、入団早々に肩を故障し、一時は二軍戦で外野手で出場した。入団5年目の1968年6月19日の対西鉄ライオンズ戦でプロ初勝利を挙げた。同年には6試合に先発で起用されたが結果を残せず、その後は主としてショートリリーフで登板した。1975年にロッテオリオンズに移籍し、同年限りで現役を引退した。
その後はロッテのコーチを務めた。1995年2月1日に交通事故で亡くなった。
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