山崎正和の出身高校
山崎正和 演出家
- 山崎正和卒業高校
- 鴨沂高校 偏差値 京都府高校偏差値ランキング
- 演出家ランキング
- 60位 / 61人中 演出家別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1934年〈昭和9年〉3月26日生まれ
山崎 正和(やまざき まさかず、1934年〈昭和9年〉3月26日 - )は、日本の劇作家、評論家、演劇研究者。サントリー文化財団副理事長、大阪大学名誉教授、経済産業省参与。文化功労者。日本芸術院会員。
関西大学文学部教授、大阪大学文学部教授、東亜大学学長、文部科学省中央教育審議会会長(第4期)、LCA大学院大学学長などを歴任した。
京都府京都市出身。旧満洲で育ち引き揚げた後、京都府立鴨沂高等学校を経て、京都大学文学部哲学科美学美術史専攻卒業。同大学院文学研究科博士課程美学美術史学専攻中退。1964年から1965年にかけてイェール大学演劇学科に留学した。
1969年に関西大学文学部助教授に就任し、1974年には同学部教授に昇任。1976年から1995年まで大阪大学文学部教授を務める。東亜大学学長を経て、大阪大学名誉教授、LCA大学院大学学長に着任した。1993年の学位論文「演技する精神」により、大阪大学で博士(文学)を取得する。
大学院在学中から戯曲を執筆し、1963年に『世阿彌』で岸田国士戯曲賞を受賞した。その後評論活動を開始し、1972年に近代日本文明論『劇的なる日本人』で芸術選奨新人賞を受賞した。1973年、森鴎外を新しい視点から論じた『鴎外 戦う家長』で読売文学賞を受賞。続編『不機嫌の時代』では、日露戦争以降の文学者たちの状況を捉えた。
アメリカ論、室町時代論など射程は広く、『太平記』や『徒然草』『方丈記』などの現代語訳も行なう。1984年には、現代日本文化論『柔らかい個人主義の誕生』で吉野作造賞を受賞した。以後は文芸評論のみならず文明評論にも取り組み、丸谷才一との対談により文化論を多く刊行した。専門の演劇美学に関する戯曲・評論も続けて発表しており、著作集全12巻(1981・1982年刊)がある。
1999年に紫綬褒章、2007年に文化功労者、2011年に日本芸術院賞・恩賜賞をそれぞれ受章・受賞。同年、日本芸術院会員に就任した。
成熟した個人主義に基づく近代社会の構築を提唱しており、企業メセナやボランティアの概念を日本に普及させた当事者の一人である。西宮市在住であることから阪神・淡路大震災を体験したが、その際の市民ボランティアを「柔らかい個人主義」の実現と高く評価した。
政治思想としては中道・親米的な現実主義の立場を採り、冷戦下では自由主義陣営への支持を明言した。「『政治的な保守』というものは存在しないし、存在しえない」「もし保守というものが成立するとしたら、それは広い意味での『文化』の領域に限られるだろう」と解説した上で、自らを文化的保守であると説明する。
1990年代には、福澤諭吉の「脱亜入欧」論に倣って「脱亜入洋」(洋=オセアニア)論を提唱した。
政治家やマスメディアによるポピュリズムを批判するとともに、ポピュリズムとポピュリストについて以下のように定義している。
著書の記述の一部が高等学校の国語教科書や大学入試などでよく使用される。
1980年代以降の日本における喫煙規制強化に対しては、過剰な公権力の介入であるとして「禁煙ファシズム」などと批判している。養老孟司との対談でも「禁煙ファシズム」を強く批判した。山崎の喫煙規制批判に関して、日本禁煙学会理事長作田学らは2007年9月13日付で山崎宛ての公開質問状を発表したが、小谷野敦によれば作田は公開往復書簡に応じていないという。
定年退職年齢を70歳まで延長し、大学卒業者の就職年齢を30歳前後まで遅らせる「人生10年先送り」論を提唱する。「人生の複線化計画」の一環として青春期に10年間の空白を設けることで、若者は経験を積みながら広い教養と趣味を身に付けられるとする。義務教育の内容を濃密化すれば、10年間の空白によって中卒者と大卒者は同質化できるとも説明した。
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