山内康一の出身高校

山内康一 議員

山内康一卒業高校
筑紫丘高校 偏差値 福岡県高校偏差値ランキング
議員ランキング
310位 / 885人中 議員別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1973年8月25日生まれ

山内 康一(やまうち こういち、1973年8月25日 - )は、日本の政治家。衆議院議員を3期務めた。現在北海道大学非常勤講師。

福岡県筑紫野市生まれ。福岡県立筑紫丘高等学校在学中、国際基督教大学教養学部、早稲田大学政治経済学部、慶應義塾大学経済学部に合格し、国際基督教大学に進学する。大学在学中、フィリピンに1年間留学する。

国際基督教大学卒業後、国際協力事業団(現・国際協力機構、略称JICA)に就職。インドネシア、フィリピン等のアジア諸国への技術協力プロジェクトや専門家派遣業務に携わる。。

その後国際協力事業団を退職し、NPO法人ピースウィンズ・ジャパン等の複数のNGOに勤務し、インドネシア、東ティモール、アフガニスタン、インド等で難民や地震・洪水の被災者のための緊急人道援助活動や、学校建設・農村開発等の開発支援活動に従事した。

2004年4月、ロンドン大学教育学研究所にて修士課程を修了。

2005年4月から国際協力機構に復職するが、同年に自由民主党の候補者公募に応募し、合格。第44回衆議院議員総選挙に自民党公認で神奈川9区から出馬し、民主党公認の笠浩史を破り初当選した。

2009年7月21日、衆議院解散後に「自民党が進んでいる方向と、自分が目指している方向が大きくずれていると感じるようになった」として離党届を提出した。同年8月8日、みんなの党結党に参加。同党公認で第45回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロック単独で出馬し、再選。みんなの党結党時の役職は「パートナー(補佐)」だったが、9月29日付けで国会対策委員長・筆頭副幹事長に就任した。

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙に比例北関東ブロック単独で出馬し、3選。

2014年11月19日、みんなの党両院議員総会において賛成多数で解党が決まり、翌11月20日にみんなの党に離党届を提出。同日、民主党への入党を申し入れた。民主党代表の海江田万里は「仲間として頑張ろう。心から歓迎する」と述べた。これはみんなの党の解党決定後、他党へ合流する初めてのケースとなった。山内は会見で「穏健な中道路線が必要だ。民主党に期待するしかない」と述べた。この年の7月、民主党常任幹事会は埼玉県第13区総支部長であった元職森岡洋一郎が健康問題を理由に公認を辞退したため支部長から外し、同支部長は空席となっていたが、第47回衆議院議員総選挙直前の同年11月、山内が同選挙区の新支部長に就任、同年12月、民主党公認候補として立候補した。山内は森岡と全く接点がなかったというが、選挙期間中は森岡の名を出して後継者であることをアピールした。しかし他党から急に入党し、地縁もない山内の名は有権者には浸透せず、比例復活もならず落選した。

落選後は大学で講演などを行い、春日部市内に事務所を維持しているものの、ホームページ・ブログ等は消滅している。政治活動については継続する意向であるが、2015年2月、森岡が民主党埼玉県総支部連合会総支部選出常任幹事に就任し政治活動を再開する姿勢を見せており、山内が埼玉13区から民主党候補として再出馬する可能性は低くなっている。2015年4月、北海道大学大学院非常勤講師に就任し、国際協力の講義を担当している。議員在職中から「政経電論」(株式会社損得舎)メールマガジンに寄稿しており、落選後の近況などを報告している。

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