山下斐紹の出身高校
山下斐紹 プロ野球選手
- 山下斐紹卒業高校
- 習志野市立習志野高校 偏差値 千葉県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 2098位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1992年11月16日生まれ
山下 斐紹(やました あやつぐ、1992年11月16日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(捕手)。2015年より、登録名を斐紹とする。
1992年11月16日に北海道札幌市で生まれた。5歳の頃に家族と千葉県千葉市に転居し、6歳の時に4歳上の兄・貴将の影響を受け小学校で投手として野球を始めた。磯辺シーグルスに所属し、最初は右打ちだったが、4年生時に足の速さを生かすため左打ちへ転向した。
千葉市立磯辺第二中学校(現・千葉市立磯辺中学校)に進学して硬式野球の千葉西シニアに所属。野手に転向して外野手を中心にプレーした。
習志野高進学後に、捕手へと転向。1年夏からベンチ入りし、秋からはレギュラーに定着。秋季関東地区大会を2位で終え、2年春には第81回選抜高等学校野球大会に出場した。チームは2回戦で敗退を喫するも、2試合で5打数2安打1打点をマークし全国に名を轟かせた。2年秋から主将を務め優勝候補の筆頭に挙げられたが3回戦で敗退した。3年春は県大会を制し、関東大会で準優勝した。3年夏の千葉県大会では2本塁打を含む16打数10安打をマークした。 準決勝でこの年の甲子園出場校成田高校と対戦、適時打一本を放つも、相手エースである中川諒に2三振を喫し、3-4で敗れた。
2010年10月28日のプロ野球ドラフト会議にて福岡ソフトバンクホークスから1位指名を受けた。
7月25日に富山市民球場アルペンスタジアムで開催されたフレッシュオールスターゲームに選出され、4回表から松井雅人に代わり捕手として出場、川原弘之、蕭一傑、山田修義の球を受け、3イニングを無失点に抑えた。8月9日のウエスタン・リーグ対中日ドラゴンズ戦では大野雄大から福岡 Yahoo! JAPANドームの右翼席に本塁打を放った。8月25日の試合前のシートノック中に送球が右目付近に当たり担架で運ばれたが、福岡市内の病院で検査の結果、打撲と診断された。一軍のリーグ優勝決定後、10月4日に初の一軍昇格、3日間ベンチ入りしたが出場機会は無かった。二軍では1年目ながら82試合に出場し、50試合先発マスクを経験し、4本塁打を放った。オフはオーストラリアン・ベースボールリーグに参加し、11月4日から12月7日まで16試合の出場で53打数18安打、打率.340、OPS.868を記録した。規定打席未到達ながら打率はチームトップだった。
春季キャンプA組スタートとなったが、寝坊による遅刻でB組行きを通告され、その後レギュラーシーズンでも一度も一軍へ呼ばれなかった。二軍では66試合先発マスクを被った。オフには11月24日から12月22日まで行われた台湾のウィンターリーグに派遣され11試合に出場した。
4月27日に一軍へ昇格すると、5月6日の対千葉ロッテマリーンズ戦で4回二死一塁から細川亨の代打としてプロ初出場し、初打席は阿部和成の外角の球を打ったがレフトフライだった。5回からそのまま捕手の守備に着き、7回の2打席目で阿部から6球ファウルで粘った10球目のスライダーをライト前へ弾き返し、これがプロ初安打・本拠地福岡 ヤフオク!ドームでの初安打となった。守っては江尻慎太郎、二保旭、金澤健人をリードし、5イニングを2失点だった。5月7日に一旦抹消となったが、以降シーズン4度の昇格を経験した。6月25日東京ドームで行われた対北海道日本ハムファイターズ戦で9番捕手として初の先発出場を果たすと、3回にブライアン・ウルフからファーストへの内野安打で出塁し、内川聖一の逆転タイムリーヒットで生還、プロ初得点を記録した。守っては先発の山田大樹をリードし、初回にミチェル・アブレイユに先制タイムリー二塁打を打たれたものの、5イニングを1失点に抑え、1点リードしたまま山崎勝己へバトンタッチした。6月30日QVCマリンフィールドで行われた対千葉ロッテ戦で3回の守備から捕手で出場、2打席連続で安打を放ち、プロ初となるマルチ安打を家族の住む地元で記録した。7月18日秋田こまちスタジアムで行われたフレッシュオールスターに自身2度目の選出、4番捕手として先発出場したが2打席凡退だった。守っては先発の東浜巨をリードし16球全て直球勝負で2回を無失点に抑え、続く岩本輝、金田和之、戸田隆矢と組んではイースタン・リーグ選抜打線を9者連続の凡退に打ち取り、5回を無失点に抑えて交代した。一軍では11試合出場し、2試合先発マスクを被ったが、いずれも先発時にリードした投手には白星を付ける事はできなかった。二軍では先発マスクを61試合被り、自己最高の打率.256、5本塁打、7盗塁を記録したが、2011年以降3年連続となるウエスタン・リーグ最多捕逸、捕手最多失策も記録した。10月6日ファーム日本選手権に8番捕手で先発出場し、得点には繋がらなかったが4打席で1安打1四球、最後までマスクを被りチームの日本一に貢献した。
右肩の不調により春季キャンプはB組で過ごした。5月6日に一軍へ昇格し、5月14日QVCマリンフィールドで行われた対千葉ロッテ戦で11回表に李大浩の代走として出場し、11回裏2対2の同点から捕手として嘉弥真新也をリードしたが、二死一二塁としたところで荻野貴司にセンター前タイムリーを打たれてサヨナラ負けを喫した。5月16日に抹消され二軍でシーズン終了を迎えた。二軍では61試合先発マスクを被り、打率を.263に伸ばした。10月4日はファーム日本選手権に9番捕手として先発出場した。10月24日、鶴岡慎也の扁桃炎離脱により一軍の全体練習に召集されたが、状態が回復し、日本シリーズのベンチ入りは叶わなかった。
同年から登録名を斐紹へ変更した。開幕を一軍で迎え、開幕3戦目となる対千葉ロッテ戦で2年ぶりの先発出場を果たしたが、5回一死一二塁同点の場面で本塁クロスプレーの際に、今江敏晃の体当たりをブロックして生還を阻止して1失点に食い止めたが、左膝を痛めて負傷退場し、3月30日に福岡市内の病院で精密検査の結果、左膝内側側副靱帯の部分断裂と診断され、同日出場選手登録を抹消された。4月17日のウエスタン・リーグ対オリックス戦で実戦復帰し、4月24日に一軍へ復帰した。
遠投115メートル、二塁送球1.74秒の強肩に加え、1歩目の出足の速い守備が持ち味。プロ1年目に王貞治球団会長からスローイングを評価された。二軍では毎年数試合一塁手としても出場している(2014年終了現在)。走塁でも三塁到達11.89秒をマーク、50m走5.9秒の俊足も持ち味。ウエスタン・リーグでは2011年から4年連続で3本以上の三塁打を放ち、2013年4月4日にはランニングホームランも打った。打撃では高校通算35本塁打をマーク。高校3年時にツイスト打法を取り入れ、選球眼も兼ね備える。
好きな言葉は「ありがとう」。好きな選手には城島健司、目標とする選手には阿部慎之助を挙げている。
「チームの中心は試合を抜けたらダメ」という考えを持ち、高校3年春の関東大会ではヘッドスライディングの際に右手の人さし指を骨折。指が曲がって骨が突き出た状態ながら試合に出場し、送球はシュート回転しながらも二塁送球1秒台をマークした。
野球を始めるきっかけになった兄・貴将はインディーズバンド「Sugarless Infant」のボーカルをしている。その兄への感謝を込め、登場曲は兄のバンドの曲を使っている。
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