尾形佳紀の出身高校
尾形佳紀 プロ野球選手
- 尾形佳紀卒業高校
- 日本大学藤沢高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 998位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1978年8月5日生まれ
尾形 佳紀(おがた よしのり、1978年8月5日 - )は、元プロ野球選手(内野手、外野手)。現在、広島東洋カープのスカウト。
小学生のころ陸上の選手が足らず、先生に頼まれてハードルの陸上大会に出場した。厚木ブラウンズで本格的に野球を始める。
日大藤沢高校では2年夏の甲子園でベスト16、3年夏は県大会準優勝。(兄も日大藤沢高出身であり、プロ複数球団から注目された逸材であった。)その後日大に進学。東都大学1部リーグ通算48試合出場、158打数40安打、打率.253、5本塁打、13打点。4年生時は主将を務め、秋季のリーグ戦でベストナインを獲得。しかし右膝前十字靱帯を断裂し、プロからは声がかからなかった。
卒業後、ホンダに入社。当時のホンダは都市対抗野球大会に出場できない低迷期にあり、2002年には新日鐵君津、2003年には日本通運の補強選手として都市対抗野球大会に出場した。2003年のドラフト4巡目で広島東洋カープに指名され入団。
2004年、7月27日の読売ジャイアンツ戦で初出場。翌7月28日に2番二塁手で初めて先発出場し、上原浩治からプロ初安打を放つ。この試合以降、8月までは3割を超える打率をキープ。8月にはほぼ全試合で1番・二塁手に定着し、遊撃手や中堅手でも起用され、1年目からユーティリティーぶりを発揮した。9月には不振に陥ったが、打率.250、4本塁打、4盗塁と1年目としては結果を残した。
2005年、アンディ・シーツの阪神移籍により1番・遊撃手で開幕スタメン出場。その後、39試合連続で1番・遊撃手を務めた。打率は3割を超え6本塁打を打つなど結果を出していたが、5月28日の西武ライオンズ戦で古傷である右膝前十字靱帯を再び断裂。この故障の影響でシーズンの残りを欠場。出場47試合にもかかわらず失策数は遊撃手としてリーグ最多の12個で、盗塁数9個はチーム最多だった。
2006年、1月から練習を再開、開幕戦からの復帰を目指していたが、3月中旬に再び右膝の違和感を訴えた。検査の結果「右膝大腿骨滑車面軟骨損傷」の診断を受け、軟骨の欠損を修復する内視鏡手術を受けた。一軍出場なしに終わった。
2007年、ケガの再発を防ぐため足の負担の少ない外野手へ転向した。一軍でも二軍でもすべて外野手として出場。3月30日の阪神タイガースとの開幕戦(京セラドーム大阪)で途中出場。約2年ぶりの公式戦で、タイムリーヒットを含む3打数2安打の活躍。その後は一軍と二軍を行き来するが、8月24日には巨人の三木均からプロ入り初のサヨナラホームランを放ち、ヒーローインタビューで涙を流した。秋季キャンプからは、阪神にFA移籍した新井貴浩の穴を埋めるため三塁手の練習も行った。
2008年、足のサポーターを外し、三塁手としてシーズンに臨む。春季キャンプでは三塁の助っ人として新加入したスコット・シーボルの対抗馬筆頭だったが、オープン戦では攻守に安定性を欠き、開幕二軍スタートとなった。二軍でも三塁を狙う選手が多く、打撃の調子も今一つでなかなかスタメン出場できなかった。
2009年、再び外野手としての出場が中心となる。6月17日に約2年ぶりの一軍昇格を果たすが、わずか1試合1打数の出場のみで二軍に降格。10月9日、戦力外通告を受け、現役を引退。カープのスカウト(関東地区の担当)に転身した。
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