小沢遼子の出身高校
小沢遼子 コメンテーター
- 小沢遼子卒業高校
- 浦和第一女子高校 偏差値 埼玉県高校偏差値ランキング
- コメンテーターランキング
- 30位 / 140人中 コメンテーター別偏差値ランキング
- 性別
- 女性
- 生年月日
- 1937年5月4日生まれ
小沢 遼子(おざわ りょうこ、1937年5月4日 - )は日本の政治家、評論家。
東京都出身。埼玉県立浦和第一女子高等学校、法政大学社会学部心理学科卒業後、広告代理店、出版社勤務を経て、1967年、当時継続していたベトナム戦争に異議を唱えるため、ベトナムに平和を!埼玉市民連合結成、自ら代表としてベトナム反戦運動を展開。
1971年、統一地方選挙浦和市議会議員選挙に立候補し、最高得票で当選(革新系無所属)。以後、3期連続当選。1983年、埼玉県議会議員選挙に転じ当選(革新系無所属)。1987年、2期目を目指す県議選で、高校の後輩で同じく浦和市議会議員だった岡真智子が日本社会党公認で立候補。ともに革新系で支持層が重なり、支持者を奪い合い落選(岡は当選)。以後政界を退き、評論家として活動。
1984年6月24日、KBS京都企画・制作、独立UHF11局ネット生放送、田原総一朗司会の、討論番組「21世紀の日本を考える 5時間闘論 平和 なにを、いかにして守るのか」に出演。当時放送開始の「朝まで生テレビ!」に野坂昭如・西部邁・舛添要一・木元教子らとともに度々出演。朝まで生テレビ!のパネリスト一覧参照。
1989年第15回参議院議員通常選挙、1990年第39回衆議院議員総選挙、1991年東京都知事選挙・浦和市長選挙、1992年埼玉県知事選挙の候補者としてマスコミ等で名前が挙がる。「マドンナ議員」が話題になる中、日本社会党などから出馬を打診されるが全て断る。なおマドンナ議員に関し雑誌で「イギリスの緑の党は幹部が皆女性だがこれは女性だからではなくたまたま優秀な人が女性だったという話であるが、日本の政党のマドンナ候補は話題作りや票集め対策で能力重視ではない」と痛烈に批判。
1993年、埼玉県議会議員が相互に政治団体の帳簿上、同額寄付金をやりとりし、確定申告時に寄付控除を受ける、所謂「回し献金」を行っていたことが発覚。「回し献金」の事実が明らかになった県議は自民党会派所属県議20人と無所属議員1人の計21名。税務当局の指摘を受け修正申告に応じた。「回し献金」について元社会党県議の黒田重晴(元越谷市長)は、「当時同僚だった小沢遼子元県議からこの方法を教わり約7年前からやっていた」と述べた。小沢もこれを認め、「1987年に落選するまで、3年間控除を受けた」「寄付控除はどんな個人でも税金の控除の対象になる方法であり、私の場合もその一例に過ぎない。政党所属県議に比べ、税制上の優遇措置の少ない無所属県議にとって唯一優遇を受けられる方法だった」と話した。
1998年・1999年、原子力政策円卓会議モデレーター就任。就任後、茨城県東海村で発生したJCO臨界事故にも携わる。2000年、放射性廃棄物シンポジウムコーディネーター就任(同シンポジウムは単年で終了)。
浜田卓二郎・松永光・山口敏夫・土屋義彦ら自民党所属埼玉県輩出議員や、土井たか子元社会党委員長を厳しく評論。
2014年10月3日に放送されたTBSラジオ「森本毅郎・スタンバイ!」において、9月27日に発生した御嶽山の噴火後の救助活動が悪天候で進まない事について、「今日も中止しているでしょ? 危ないとかって言うんで」「度々中断しているじゃない。『あ、やっぱり日本は自衛隊なんだ』って思いましたよ」「これはイスラム国に行って、いつ爆弾が飛んでくるかわからないところに人助けに行けるようなあれじゃないと。だからきっと安倍さんも見ていてね、国会で集団自衛権の問題は言わないじゃないですか。あれは無理でしょう」「アメリカの潜水艦がやられているところに突っ込みます? 上から石が落ちてくるかもしれない。風が吹いてくるかもしれない。毒ガスの臭いがするかもしれない。それで近づけない軍隊は軍隊じゃないですよ」「私は安心しました。これは無理だと。むしろ日本でこういうことがあったときに、ガスマスクだとか、ヘルメットだとか。そういうものを持っているレスキュー隊として活動していただくのが自衛のためには一番です」などと、集団的自衛権とも絡めて、自衛隊や政府の対応を批判した。なお、この発言に森本毅郎もまた「ちょっとの風が吹いたり、雨が降るとやめちゃう自衛隊」と同調した。
以前は阪神タイガースのファン、北海道日本ハムファイターズのファンにシフトしたと公言。
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