小橋建太の出身高校
小橋建太 スポーツ選手
- 小橋建太卒業高校
- 福知山高校 偏差値 京都府高校偏差値ランキング
- スポーツ選手ランキング
- 241位 / 2530人中 スポーツ選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 血液型
- A型
小橋 建太(こばし けんた、男性、1967年3月27日 - )は、日本の元プロレスラー。本名は小橋 健太(読み同じ)。京都府福知山市出身。血液型B型。
プロレスリング・ノアに所属。2013年に個人事務所「Fortune KK」を設立し、代表取締役となる。
1990年代後半から2000年代を代表するプロレスラーの1人。その試合センスから、東京スポーツ主催のプロレス大賞、日刊スポーツの読者が選ぶMVPなど、多くの受賞経験を持つ。
リングネームは全日本プロレス所属まで本名の「小橋健太」だったが、2000年にノアが創設されたのを機に新しい自分と新しい団体を建てるという意味を込めて「小橋建太」に改名。
2006年7月18日の高山善廣復帰戦に際し、小橋と高山がタッグを組むことで話題を集めたが、2006年6月29日、精密検査で腎臓癌が見つかり、手術・治療のため長期欠場。7月に腹腔鏡下手術を行い、無事成功。189日後の12月10日の日本武道館大会に姿を見せ近況を報告。2007年10月27日の日本武道館大会に姿を見せて、復帰戦の対戦カードを自ら発表。そして12月2日の日本武道館大会で、546日ぶりとなるリングに復帰した。2008年の上半期は会場限定で出場を行い、2月26日にデビュー20周年記念試合が行われた。その後、海外遠征やイベント、単発興行にも出場。8月シリーズより全戦出場を果たしたが、9月9日に右腕遅発性尺骨神経麻痺、両肘関節遊離体により再び欠場、手術を行った。欠場中も、サイン会、撮影会、トークショーには参加していた。2009年3月1日の日本武道館大会で176日ぶりに復帰し、復帰戦では勝利を収めた。2010年1月5日に肘部管症候群によりシリーズ欠場を発表した。
2010年6月21日、同年秋に演歌歌手のみずき舞と結婚することを発表。
2011年6月13日、三沢光晴メモリアルナイトが行われた大阪府立体育会館第二競技場大会の前半戦終了後リングに姿を現し、翌月7月23日に大阪府立体育会館で行われる「GREAT VOYAGE 2011 in OSAKA」大会での復帰を発表した。
2012年2月19日、仙台サンプラザホールでの東日本大震災復興支援チャリティープロレス「ALL TOGETHER 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜」の試合中に左脛骨骨折と右膝内側側副靭帯損傷ならびに右脛骨挫傷を発症し欠場に入る。
同年12月9日、現役からの引退を表明した。役員を退職(後述)した時点で、レスラーとしてはフリー契約となっている。そのため引退興行は「小橋建太&プロレスリング・ノア共同開催」となっている。2013年5月引退。
2014年6月8日、自身のプロデュース興行「Fortune Dream 1」を開催。自身は長州力とのトークショーを行う。12月10日、後楽園ホールでプロデュース興業「Fortune Dream 2」を開催した。
2015年5月11日、プロボクサー兼モデルの高野人母美とともに尚美学園大学総合政策学部ライフマネジメント学科の講師に就任し、6月より2016年3月まで月1回の割合で教壇に立つことが発表された。
同年8月12日、第1子女児が誕生。
「GRAND SWORD」は小橋が自身の原点とした曲である。GHC挑戦の区切り、けじめとして2003年の三沢戦で勝っても負けてもこれを最後とするとした。日本テレビの矢島学アナウンサーが佐々木健介戦で実況を担当した際、小橋が「BLAZIN」ではなく「GRAND SWORD」で入場したため思わず声が裏返り、解説をしていた高山善廣に「お前の声が裏返ったことに注目したよ!」と発言されている。
小細工を使わずにひたすら技を受け、チョップとラリアット、スープレックスで試合を作る。
数ある得意技の中でフィニッシュ・ホールドとして使用されたことが多かったものは、ラリアットである。大一番に限りバーニング・ハンマーがフィニッシュとなることも多かった。 癌闘病からの復帰後はフットワークの衰えが顕著となり、よりチョップを主体とした動きの少ないファイトスタイルとなった。
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