小林晋哉の出身高校
小林晋哉 プロ野球選手
- 小林晋哉卒業高校
- 育英高校 偏差値 兵庫県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 1842位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1952年10月28日生まれ
小林 晋哉(こばやし しんや、1952年10月28日 - )は、兵庫県宍粟郡山崎町出身の元プロ野球選手(外野手)。
育英高等学校から京都産業大学へ進学。1年春の京滋大学リーグでいきなり首位打者になる。京滋大学リーグで通算58試合出場、206打数79安打、打率.383、6本塁打、55打点。首位打者2回、最優秀選手2回受賞。1973年の春季リーグで優勝、代表決定戦を勝ち抜き、入れ替え戦で関学を破りチームは関西六大学リーグに初昇格する。しかし1974年春季リーグ後の入れ替え戦で敗れ、チームは降格。関西六大学リーグでは2季で通算21試合出場、68打数24安打、打率.353、5本塁打、11打点、ベストナイン2回受賞。京滋、関西の2リーグで大学通算103安打を記録した。
1975年に神戸製鋼に入社。1976年には三菱重工神戸の補強選手として都市対抗に出場、チームの準決勝進出に貢献する。同年の第24回アマチュア野球世界選手権日本代表となり、社会人ベストナインにも選出された。翌1977年は神戸製鋼の四番打者として都市対抗に連続出場。決勝で熊谷組と対戦、試合を決める先制本塁打を放ちチームに初優勝をもたらす。
1978年のドラフト4位で阪急ブレーブスに入団。ウイリアムスの退団もあって、1981年には左翼手のレギュラーとなる。1984年までは定位置を手中にしていたが、熊野輝光の台頭により出場機会が減少。その後は控え外野手、代打、守備固めとして起用された。1987年シーズン限りで現役引退。
引退後は、球団職員、打撃コーチ、守備走塁コーチ、スカウト、球団本部長補佐(球団本部育成部長)を歴任し、2010年はオリックスの一軍チーフコーチを務めた。2011年、韓国プロ野球・SKワイバーンズの臨時インストラクター(キャンプ期間中のみ)を引き受けたところ、SKの正式な打撃コーチに抜擢された。だがシーズン中の8月18日、監督の金星根の解任によりSKのコーチを辞任した。2012年、韓国・高陽ワンダーズの臨時コーチ(キャンプ期間中のみ)を務めた。同年3月10日からは横浜DeNAベイスターズのスカウトを務める。2015年ハンファ・イーグルスの春季キャンプで外野守備の臨時インストラクターを務める。
妻はバンクーバーオリンピックフィギュアスケート日本代表コーチで現在日本スケート連盟フィギュア強化部長の小林芳子。
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