小坂佳隆の出身高校

小坂佳隆 プロ野球選手

小坂佳隆卒業高校
法政大学第二高校 偏差値 神奈川県高校偏差値ランキング
プロ野球選手ランキング
233位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
性別
男性
生年月日
1935年10月12日生まれ

小坂 佳隆(こさか よしたか、1935年10月12日 - 1987年3月1日)は、神奈川県出身のプロ野球選手(二塁手)。愛称は「ピョンちゃん」。

法政二高では2年生の時、二塁手として1952年の夏の甲子園に出場。1回戦で新宮に敗退。1年上のチームメートに斎田忠利中堅手(大映)、同期に中村忠雄一塁手(広島)がいた。卒業後は斎田と同じく法政大学に進学。東京六大学リーグでは優勝に届かなかったが、1年生の秋から強肩俊足の二塁手として活躍し、当時の東京六大学野球で戦後最高の二塁手と呼ばれるほどのスター選手だった。リーグ通算98試合出場、344打数74安打、打率.215、0本塁打、24打点。ベストナイン1回。

1958年にこの当時まだ田舎球団であった広島カープが、広島初のスター選手として獲得した。引退した金山次郎の後継として、1年目からレギュラー二塁手として活躍、規定打席(20位、打率.235)にも達する。天才的とも言われた守備で1962年にベストナインを獲得。その後の活躍も期待されていたが肉体的な衰えが激しくなり、試合の出番が少なくなっていった。1965年にわずか30歳で8年の現役生活に別れを告げた。その後監督候補の呼び声もあったが、少しも未練を見せずに球界を去った。その後、地元の横浜市でウナギ屋を営んでいたが、1987年3月1日に脳出血で死去。享年51。

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