寺岡孝の出身高校
寺岡孝 プロ野球選手
- 寺岡孝卒業高校
- 佐賀県立商業高校 偏差値 佐賀県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3775位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1942年9月13日生まれ
寺岡 孝(てらおか たかし、1942年9月13日 - 2011年2月4日)は、宮崎県出身のプロ野球選手(外野手)、野球指導者。
引退後は南海・広島・大洋・ダイエー、台湾や韓国で監督・コーチを務めた。
宮崎県立宮崎商業高等学校では1960年夏の甲子園県予選準々決勝に進出するが、日南高に延長13回0-1で惜敗。卒業後は専修大学に進学。東都大学リーグでは二部降格も経験し、優勝には届かなかった。一部リーグ通算70試合出場、220打数59安打、打率.268、4本塁打、25打点。ベストナイン1度受賞。
1965年に広島カープに入団。1966年に二軍で首位打者を獲得したが、一軍ではレギュラーを獲得できず、1970年に大学の先輩である古葉竹識と共に南海ホークスに移籍。1972年限りで現役引退。
引退後は、1973年から1975年まで南海コーチ、1976年に広島監督の古葉の要請で広島に復帰して一軍コーチを務め、1979年、1980年、1984年と3度のリーグ優勝・日本一に貢献。1985年に古葉と共に退団。
1986年は南海一軍外野守備走塁コーチを務め、1987年に古葉の横浜大洋ホエールズ監督就任に伴い大洋一軍ヘッドコーチに就任したが成績不振の為、1989年限りで古葉と共に退団。
その後は韓国プロ野球・三星ライオンズのコーチ、台湾プロ野球・俊国ベアーズの監督を経て、1995年に福岡ダイエーホークス一軍ヘッドコーチに就任した。監督には王貞治が就任。初年度のコーチスタッフに寺岡、高橋慶彦、達川光男といった広島OBや、広島県出身の村田兆治というメンバーで固めた。これは巨人にはもう戻らないと決めた王が、監督時代に機動力を使ったいやらしい野球に苦しめられた経験から、広島OBに目を付け前述のメンバーすべてに王自身が直接電話をかけて誘ったものだが、当時は直前まで古葉(広島に加えホークスOB、そして九州人)が監督に就任する予定で、そのためコーチスタッフも前述のメンバーに決まっていて王はやむなく「現役の時から広島の野球が素晴らしいと思っていた」という説明をしたと噂された。しかし王自身、それは違うと話している。寺岡は1996年まで一軍ヘッドコーチ、1997年は二軍監督を務め、同年で退団。以後は台湾プロ野球の味全ドラゴンズ、中信ホエールズのコーチを歴任。その後はクラブチームのサムライ那覇でコーチを務める傍ら、野球タイ王国代表の監督も務め、2009年から2010年まで台湾プロ野球の興農ブルズでコーチを務めた。
2011年2月4日、沖縄県西原町の病院で死去。68歳没。
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