宮西尚生の出身高校
宮西尚生 プロ野球選手
- 宮西尚生卒業高校
- 尼崎高校 偏差値 兵庫県高校偏差値ランキング
- プロ野球選手ランキング
- 3175位 / 4783人中 プロ野球選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1985年6月2日生まれ
宮西 尚生(みやにし なおき、1985年6月2日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手)。
兵庫県西宮市出身。小学1年から野球を始め、中学時代はボーイズリーグの尼崎ボーイズでプレーし南大阪大会で優勝する。尼崎市立尼崎高校時代は1年先輩の金刃憲人と共に注目されるが全国大会には縁がなかった。
高校卒業後、関西学生野球連盟所属の関西学院大学に進学。同期に荻野貴司、1学年後輩に岸敬祐がいる。1年秋からベンチ入りし、2年春のリーグ戦では先発投手とリリーフの両方でフル回転し、48回1/3連続無失点のリーグ記録を達成。第16回IBAFインターコンチネンタルカップや北京プレオリンピック野球日本代表など4度日本代表に選出された。しかし、3年次以降は球速を上げようとしてフォームを崩したため、成績は伸び悩んだ。リーグ戦通算46試合登板、19勝13敗、防御率1.58、奪三振291。
2007年のプロ野球ドラフト会議(大学生・社会人の部)において北海道日本ハムファイターズから3巡目指名を受け入団。後年、入団当時を振り返って「大学3年から思うような成績を残せず、落ち目のところで山田正雄GMに拾ってもらった。感謝しかない」と述べている。なお、2008年から2011年に日本ハムの監督を務めた梨田昌孝の長男・和利とは大学の4年間チームメイトだった。
新人年の2008年から7年連続で50試合以上に登板し、その全てがリリーフとしてである。新人年からの3年連続50試合登板は、日本ハムの投手としては1969年 - 1972年の金田留広以来39年ぶり。
2008年3月25日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初登板。2008年は防御率4点台ながらチームに数少ない左の中継ぎとして一軍の戦力となった。2009年8月に新型インフルエンザに罹り入院したが、復帰後初登板した8月28日の試合で7勝目を挙げ、岸孝之の6連勝を超えて開幕からの連勝記録でリーグトップとなった。8月29日までは防御率1点台を維持した。閉幕時は防御率2.89まで低下したが、58登板は菊地和正と並んでチーム最多、20ホールドポイントはリーグ8位。
2010年5月19日にプロ初セーブを挙げた。同年8月21日に伝染性のウイルス性結膜炎に感染したため一時的に出場選手登録を外れたが、同年に記録したチーム最多(リーグ6位)の61登板、リーグ7位の25ホールドポイント、防御率1.70は前年度の成績を上回った。
2011年は4月14日、5月6日に右打者に本塁打を打たれ敗戦投手になってしまった。この年の敗戦は本塁打による得点によるものだけであった。最終的には防御率2.21、14ホールドで前年度よりも成績を落としたが、球団最多の61試合登板した。11月13日に札幌市在住の女性と結婚した。
2012年は、増井浩俊・武田久と共に勝ちパターンの一角として主に7回を任された。後半戦はやや調子を落としたものの、登板数・ホールド数は自身最多を記録した。
2013年も前年同様勝ちパターンの一角を担い、自身3年ぶりとなる防御率1点台、さらにリーグ2位となる30ホールドを記録するなど結果を残した。
2014年は新加入のマイケル・クロッタやアンソニー・カーターがリリーバーとして加わるも、不動のセットアッパーとして62試合に登板、自己最多となる41ホールドを記録し、引き続き勝ちパターンの一角を担った。8月19日に国内FA権を取得するもオフの11月8日に残留を発表。11月22日に行われたファン感謝祭にて、来季シーズンよりチームの主将に就任する事が発表された。
2015年7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された。
サイドスローから平均球速約140km/hのストレートとスライダー、カーブの3種類を投げる。
読売ジャイアンツの山口鉄也を「山口さんはえげつない。制球、変化球のキレは別世界。目標としたい。」と語っている。
※史上17人目(5年目での到達はパ・リーグ最速)
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