宮市亮の出身高校
宮市亮 サッカー選手
- 宮市亮卒業高校
- 中京大学附属中京高校 偏差値 愛知県高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 518位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1992年12月14日生まれ
宮市 亮(みやいち りょう、1992年12月14日 - )は、愛知県岡崎市出身のプロサッカー選手。ブンデスリーガ2部・FCザンクトパウリ所属。ポジションはフォワード(主に左ウイング)、サイドハーフ。50m5秒台の快足を生かした突破力が持ち味。水戸ホーリーホックに所属する宮市剛は実弟。
宮市はトヨタ自動車野球部でヘッドコーチを務めていた父親と高校時代に槍投げで全国ランキング8位の実績を持つ母親との間に生まれた。父親の影響で小学校の途中までサッカーと並行して野球もプレイしていたが、中学進学時にサッカーだけに専念することを選択した。サッカーでは小学3年生の時から地元のシルフィードFCジュニアに所属し、、その後も愛知県トレセンに選ばれるなど順調にキャリアをスタートさせる。中学に入るとシルフィードFCジュニアユースに進み、1年生時にJFAエリートプログラム、2年生時にU-14日本代表、3年生時にU-15日本代表とそれぞれ選出された。中学時代までは主に右サイドバックを任され、当時は今のようにドリブルで勝負するようなタイプではなく、とにかくタッチライン際を何度も往復する汗かき役であった。
2008年4月、地元の強豪中京大学附属中京高等学校に進学。この頃に道家監督指導の下、現在の左ウイングをポジションとするプレースタイルに変わり、1年生時からレギュラーを獲得し、AFC U-16選手権に出場するU-16日本代表にも選出された。2年生時にはU-17日本代表に選出され、同学年の宇佐美貴史や高木善朗らと共にFIFA U-17ワールドカップに出場し、第88回全国高等学校サッカー選手権大会では大会優秀選手に選ばれた。3年生時、主将として出場した第89回全国高等学校サッカー選手権大会では、チームは初戦敗退に終わるも、1得点1アシストを挙げる活躍を見せ、2大会連続で大会優秀選手に選ばれた。
2010年1月にドイツ・ブンデスリーガに所属するFCケルンの練習に参加し、世界に目をむけるようになる。同年8月に再び海を渡り、イングランド・プレミアリーグのアーセナルと、オランダ・エールディビジのアヤックスの練習に参加し、アーセナル監督を務めるアーセン・ベンゲルから高く評価され、5年という長期契約のオファーを受けた。同年12月18日、アーセナルへの加入が正式に発表された。しかし、宮市は英国の就労ビザ発行基準を満たしておらず、イングランドでプレーすることが許可されなかったため、2011年1月31日、オランダエールディヴィジ・フェイエノールトへ期限付き移籍することが決定した。
2011年2月6日、フィテッセ戦(エールディヴィジ第22節)にて18歳1カ月23日での公式戦デビュー(先発フル出場)を果たし、森本貴幸の記録を抜き欧州主要リーグの日本人最年少デビュー記録を作った。2月12日、ヘラクレス・アルメロ戦(第23節)にてホーム戦デビューを飾り、プロ初得点となる先制弾を左足で豪快に決め、森本の持つ欧州主要リーグの日本人最年少得点記録を18歳1カ月29日と更新した。2月27日、FCフローニンゲン戦(第25節)でプロ初アシストを記録。4月17日、ヴィレムII戦(第31節)では2得点2アシストを挙げる活躍でチームの大勝に貢献した。
2011-12シーズン前、オランダでの活躍によりベンゲル監督からアーセナルのファーストチーム入りを明言され、2011年8月9日、アーセナルの申請で英国の労働ビザを特例で取得したことで、イングランドでのプレーが可能になった。9月20日、カーリングカップ3回戦のシュルーズベリー(4部)戦で公式戦デビューを果たした。しかし、11月にリザーブリーグでの負傷による長期離脱などが影響し、前半戦の公式戦出場はカップ戦2試合のみに留まった。
2012年1月31日、ボルトン・ワンダラーズFCへ半年間の期限付き移籍が発表された。2月11日、第25節ウィガン戦で後半開始から途中出場し、稲本潤一の記録を更新する日本人最年少となる19歳1カ月28日でのプレミアリーグ初出場を果たした。2月18日、FAカップ5回戦ミルウォールでは初先発で移籍後初得点となる先制点を決めた。3月10日、第28節QPR戦では決勝点となる移籍後初アシストを決めた。その後、レギュラーに定着するがチームは2部に降格し、自身も終盤戦は右肩の怪我の影響もあり本領を発揮できなかった。5月23日、キリンチャレンジカップ・アゼルバイジャン戦で、A代表初キャップを記録した。
2012年8月13日、ウィガン・アスレティックFCへの1年間の期限付き移籍が発表された。同年11月17日のリヴァプール戦で右足首靱帯を負傷し長期離脱。2013年3月9日、FAカップ準々決勝エヴァートン戦で約4カ月ぶりに復帰を果たすも相手選手との接触により再び右足首靱帯を負傷し、後日手術を受けた。最終的に2012-13シーズンの公式戦出場はわずか7試合に留まり、チームも2部に降格した。なお、宮市にとっては2年連続となる2部降格を経験した。
2013-14シーズンはアーセナルに残留。9月18日、欧州CLの第1節のオリンピック・マルセイユ戦に途中出場し、CL本戦デビューを飾った。9月24日、第5節ストーク戦でアーセナルでのリーグ戦初出場を果たしたが、リーグ戦出場はこの1試合に留まり、2014年3月にはハムストリングを負傷し戦線離脱となった。
2014年9月1日、昨シーズンからアーセナルに復帰していたが怪我の影響もあり、なかなかトップチームの出場機会がなかったためオランダ1部エールディヴィジのFCトゥウェンテへのレンタル移籍が決定した。トゥウェンテでも定位置をつかむことはできず、2014年11月1日のヘーレンフェーン戦でFOX.nlの解説を務めていたハリー・ファン・デル・ラーンに「前線で極端に酷い宮市がスタメンで固定されているのは商業的理由でしかあり得ない」とコメントされた。
2015年3月23日、FCトゥウェンテがレンタル移籍の契約満了を発表した。
2015年6月10日にプレミアリーグから開示された資料で、アーセナルとの契約が解除されていたことが明らかになった。
2015年6月18日、ドイツ・ブンデスリーガ2部のFCザンクトパウリへフリーで移籍した。 しかし、7月18日に行われた親善試合ラーヨ・バジェカーノ戦で、左膝前十字靭帯を断裂、23日に手術を受けた。
爆発的な加速力をいかした縦への突破を武器とするウイング。イギリスのデイリー・テレグラフ紙によれば100mを10秒6で走る事ができる。
右利きであるが、主に左サイドでプレーする(右サイドでもプレー可能)。両足を器用に使うことができ、ボルトンでは左右両方のCKのキッカーを任された。
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