安藤梢の出身高校
安藤梢 サッカー選手
- 安藤梢卒業高校
- 宇都宮女子高校 偏差値 栃木県高校偏差値ランキング
- サッカー選手ランキング
- 105位 / 1982人中 サッカー選手別偏差値ランキング
- 性別
- 男性
- 生年月日
- 1982年7月9日生まれ
安藤 梢(あんどう こずえ、1982年7月9日 - )は、栃木県宇都宮市出身の女子サッカー選手。ドイツ女子ブンデスリーガ・SGSエッセン所属。ポジションはミッドフィールダー。
栃木県立宇都宮女子高等学校を経て筑波大学。筑波大学大学院人間科学研究科に進学し、現在博士後期課程在学中(SGSエッセンに所属しているため現在は休学中)。
父親の影響で幼いころからボールを蹴り始める。小学6年生の夏、宇都宮JFCジュベニールの一員として全国少女サッカー大会に出場し優勝。自身も大会MVPを獲得した。小学校の卒業文集には、「世界一のサッカー選手になる!」と書いたが、約16年後のドイツ女子W杯でそれを実現している。
小・中学校時代は県内のクラブチーム「河内サッカークラブジュベニール」でプレー。阿満憲幸監督の情熱あふれる指導のもと、大きく成長していった。監督から習った基礎練習は、代表入りした現在でも続けている。またこのチームの後輩には鮫島彩がいる。
中学校卒業後は、県下屈指の進学校・栃木県立宇都宮女子高等学校に進学し、同校サッカー部に入部。当時はトップ下、フォワードとしてプレーしていた。
高校1年の冬、アメリカで行われたアディダスカップのU-18日本代表で活躍した。高校2年生の夏(1999年)にA代表デビュー。高校3年時には全日本女子ユース (U-18)サッカー選手権大会準優勝の立役者となった。
高校を卒業後筑波大学に進学し女子サッカー部に所属したが、男子側のサッカー部の練習にも参加した。
2002年にさいたまレイナスFCに入団。入団初年度から出場機会を与えられ、シーズン終了後Lリーグ新人王を受賞した。2004年度と2009年度にはリーグ優勝を経験し、双方の年度でリーグ最優秀選手・得点王となった他、リーグベストイレブンに6回選出された。
日本代表では、アテネ・北京と、2度オリンピックに出場した他、2007 FIFA女子ワールドカップに出場した。当初はフォワードやミッドフィールダーとして招集されていたが、大橋浩司監督時代よりサイドバックとして招集され、実際の試合においてもサイドバックまたはサイドハーフとして起用される機会が増えた。
2011年の第6回FIFA女子ワールドカップでは、全6試合にFWとして先発出場して優勝に貢献した。
準々決勝のドイツ戦が行われた7月9日は29歳の誕生日であり、フル出場してデュイスブルクのチームメイトのアレクサンドラ・ポップらと対決。勝利後にチームメイトからベンチ前で水をかけられて祝福され、「最高の誕生日になった」と喜んだ。2012年8月10日、ロンドンオリンピックにおける銀メダル獲得の貢献に対して、同じく栃木県出身の鮫島彩選手とともに栃木県県民栄誉賞を授与された。
2009年12月27日、ドイツ女子ブンデスリーガ1部のFCR2001デュイスブルク (FCR 2001 Duisburg)への移籍が発表された。翌2010年3月、ツヴァイテ (2軍) チームに出場して1得点を挙げた。ツヴァイテチームでの出場はこの試合限りであり、トップチームでの試合出場が中心である。この年度は、女子DFBポカールで優勝を経験した。
2013年1月31日、2009年から在籍したFCR2001デュイスブルクから、1.FFCフランクフルトへの移籍が発表された。
2015年5月14日、1.FFCフランクフルトが、UEFA女子チャンピオンズリーグで7大会ぶり4回目の優勝。決勝では後半42分から左MFで途中出場し優勝の歓喜を味わった。日本のUEFA女子チャンピオンズリーグ制覇は、大儀見優季、大滝麻未に次いで3人目の快挙となった。
2015年10月21日、SGSエッセンへの移籍が発表された。
(2015年6月8日現在)
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